日米両政府が普天間基地の全面返還を決めたSACO最終報告から20年。しかし今も実現されておらず、北部訓練場の返還を前に翁長知事の「苦渋の選択」という発言を巡っても混乱しています。
翁長知事は「新辺野古基地は絶対造らせない。オスプレイの配備撤回ということを申し上げていますから、これを必ず実現するという意味で 法廷闘争もありましたし、1日2日ですぐ解決する問題じゃありませんので、こういったことを経ながらオスプレイの飛び交うヘリパッドは容認できないということを言っているわけです」と話していました。
翁長知事はこのように述べ、あくまでも辺野古新基地、そしてオスプレイが使う訓練場には反対だと弁明しました。
あらためてこの20年を振り返ります。
こちらが、この間に返還された施設です。読谷補助飛行場や楚辺通信所など、5つの施設が全面または、大部分返還されました。
しかし、その面積は合わせても365ヘクタール、普天間飛行場の4分の3程度です。
そして、こちらのグラフですが、この20年間で、全国の米軍専用施設の沖縄の負担割合は74.9%から74.5%とほぼ変わっていません。
さらに今月22日とみられる北部訓練場の返還で、合意面積の約8割4000ヘクタールが返還されますが、それでもなお70.6%と4ポイントの減少に留まります。
一方、名護市の稲嶺市長も会見を開き「SACOの計画自体に無理があった」と述べました。また北部訓練場の返還についても、面積が減ったから負担軽減という話ではないと指摘しました。
稲嶺進名護市長は「県民はそれ(北部訓練場の返還)が負担軽減になると思っていないというのが大きな問題だと思う。逆に訓練は増えていくだろうと思いますから、負担軽減どころか負担は大きくなる」と話していました。
辺野古の新基地や高江のヘリパッド建設を巡り、混沌とする中で迎えた節目の日。政府が負担軽減を強調しても、決して喜べない複雑な状況になっています。
20年前のこの日、こんにちの状況を誰が予想したでしょうか。