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こんばんは、スポーツです。この週末、このようにオレンジのTシャツを着て走っているランナーたちを見かけたという方もいらっしゃるのではないでしょうか?認知症への理解を深めてもらおうとおととい行われた「RUNTOMORROW」、このイベントには運営側にも、参加者にも温かい思いがありました。

お揃いのオレンジ色のTシャツを着てスタートしたマラソンリレー。走っているのは、認知症の人やその家族、支える人々。認知症の人もそうでない人も、安心して暮らせる町作りを目指したこのイベント。

Q+スポーツ部 認知症への理解を 「RUN伴」日本初横断

あすに向かってともに走るという思いが込められた「RUNTOMORROW」通称「RUN伴」です。

2011年に函館〜札幌間で始まったこのイベントは瞬く間に全国で賛同を受け、去年の第5回大会では北海道から福岡までタスキがつながりました。

そしてことし、沖縄での初開催が決定。7月に北海道をスタートし全国のランナーたちがつないできたタスキが沖縄に到着。初めての日本縦断へ、準備が整いました。

Q+スポーツ部 認知症への理解を 「RUN伴」日本初横断

「RUN伴」発案者井手訓さん「北海道で始めた小さな活動が、(日本の)端から端まで広まったというのは嬉しいことですし。日本中のどこに行っても認知症になっても安心して暮らしていける町だよって、我々日本人が胸を張って言えるような、そういった社会がくればいいよなって思っています」

1つの節目ともいえる沖縄開催。その実行委員長を任されるのが「認知症の人と家族の会」のメンバー、中野小織さん。

この日のために、半年かけて準備してきましたが…

スタッフ「Tシャツの予備はないの?」

中野小織さん「1枚ずつ1枚ずつ」

スタッフ「えっ!?1枚ずつしかないの?」

中野小織さん「あ…2枚ずつかな…」

これも初開催の難しさか、朝からランナー以上に、走り回ります。

Q+スポーツ部 認知症への理解を 「RUN伴」日本初横断

中野小織さん「準備も万全と思ったらあちこちボロボロですでもなんとかなりそうです」

慌ただしさもすべて、このイベントを良いものにしたいという思いから。中野さんの見つめる前で名護を出発したタスキは、エントリーした約570人が国道58号と329号の2コースに分かれてつなぎゴールの那覇を目指します。

各市町村では、スタートやゴール地点での催しがランナーたちを笑顔に。

参加者「とてもよかったね。」「こんなに良いいいことあるもんかと」

着々と進んでいくタスキリレー。そのタスキを今か今かと待ち侘びる一組の夫婦がいました。

宜野湾市に住む弘光さん・和子さん夫婦。ことしで結婚38年を迎える2人に変化が訪れたのは5年前でした。

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和子さん「良く物を探していたんですよね。物を探すのと一緒に計算が苦手になってしまったんですね。全然病気のことは頭にもよぎりませんでした」

夫・弘光さんを襲ったのは、大脳皮質基底核変性症。進行の速い難病で、認知症の症状に加え、最近では歩けなくなり、言葉も失いました。これまで前向きに介護を続けてきた和子さんそれでも、ふと思いがこみ上げます。

和子さん「出来るだけやってあげたい。ごめんなさいやはり元気な時のことを振り返ってしまうんですよね。声出してごらん、お願いだからこういう時は気持ちが滅入ってしまうけどね。声が聞きたいなとか、もう一回だけ聞きたいなとか。もう来年はないかもしれないじゃないですか。お父さんが車いすに座れないかもしれない、その気持ちはいつもあります。だからできる範囲はやりたい、やってあげたい(RUN伴を)記念の日にして、また明日も、良い日で迎えたいというそれだけです。ほかの何も望みません。」

和子さん「きたきたきた」

午後3時過ぎ、2人のもとにタスキが。息子の誠さんと一緒に、歩き始めます。およそ200m、時間にしておよそ6分。弘光さん・和子さんにとって、かえがえのない瞬間でした

そして、ゴールの盛り上がりの中、弘光さんに和子さんの思いが届きました。

Q+スポーツ部 認知症への理解を 「RUN伴」日本初横断

和子さん「「あー」とかいう感じですね。お父さんが声を出したことが何よりも嬉しいです。あしたにつなげる、良い日だったと思います以上です、簡単ではありますが、本当にその簡単なことが私たち2人には大切なことなんです」

弘光さん・和子さんを始め1人1人が思いを胸につないできたタスキはたくさんの笑顔に包まれながらゴールへと向かいます。最後は、参加者で国際通りをパレード。実行委員長・中野さんにとっても感慨深いフィナーレです。

中野小織さん「みなさん「満足〜」とか「楽しかった〜」とかすごい笑顔だったんですね。この笑顔を見たら、また来年もという、本当にみなさんが生き生きと出来る場を作っていきたいと思います」

ゴールの県庁前には、各都道府県を渡ってきたタスキが集まりました。和子さんも、那覇には来られなかった弘光さんの分までしっかりと名前を記しました

認知症の人もそうでない人も、ともに走り切った「RUN伴」その絆は、これからの「あした」へとつながっていきます。

Q+スポーツ部 認知症への理解を 「RUN伴」日本初横断

今回のRUN伴では北海道北見から那覇まで、およそ6500キロ、タスキがつながってきました。来年は何と台湾までつながっていくということですタスキを通じた絆が、これからも広がっていくといいですね。

以上スポーツ部でした。