『来ます…。皆、死んでいきます』『見たくないなら目を閉じていろ』
東京で上演中の舞台「木の上の軍隊」。伊江島で2年間、終戦を知らずガジュマルの木の上で生活していた沖縄出身の新兵と日本兵のことを描いた作品です。
原案は井上ひさしさん。完成を前に亡くなったことから、脚本は蓬莱竜太さんに引き継がれました。
蓬莱竜太さん「井上さん自身の思想を引き継ぐというよりは、この問題に立ち向かって書いてみる気持ちを引き継がせてもらった。今も傷痕が残りつつ、戦っている沖縄という実態があるというところでは、僕はものすごく、遠い所にいたんだということを感じまして」
舞台では新平と日本兵とのやりとりを通して、戦争の本質を浮き彫りにしています。
『遠い所から来てからに、遠い島の遠い誰かを守る。だけどそういうことがあるのかね。何のために、家族のためにですか、恋人のためにですか、お国のためにですか』
『ここはあの島じゃない。例えあの野営地がなくなっても、もあの場所は靴を拾ってやった場所ではなく、知らない男を撃ち殺した場所だ』
ガジュマルの木は今、何を問いかけているのか…
ご覧頂いたのは、現在東京で上演中の舞台「木の上の軍隊」です。伊江島の大きなガジュマルの木の上で、2人の兵隊が体験した奇妙な戦争。実話をもとに創作された舞台から「沖縄戦」「日本と沖縄」そして「国とは」と様々な問いが投げかけられ話題を呼んでいます。70年を経て描かれるドラマ。この舞台が問うものとは何かを考えます。
新平と日本兵が2年間生活していたガジュマルの木。実は今も伊江村の集落で、人々の生活を見守っています。
この日は、千葉県から高校生が見に来ていました。
高校生「木の上って…、え、この上?」「戦争が終わったって知らなくて、ずっと木の上にいたってことでしょ」
劇に登場する2人は実在の人物です。新兵のモデルとなったのは、うるま市石川出身の佐次田秀順さん。長男の勉さんは、父親から当時の話を聞いていました。
佐次田勉さん「2人だから生き残ったと。一人だったら恐らく自決していただろうと。ポケットには手榴弾が2個入っているんですよ。一つは敵に投げるよう、一つは自決用。それを何回か握ったことがあるらしい」
なぜ2人が終戦を知らなかったのか。そこにも伊江島が経た凄絶な歴史がありました。
戦争が近付くと島には日本軍が飛行場を建設。しかし、そこは戦後アメリカ軍の基地となり、住民たちは島から追い出されたのです。
佐次田勉さん「伊江島の人たちは全部慶良間諸島とか沖縄本島に強制移動させられたんだよ。ですからガジュマルから見えるのはアメリカ兵しか見えない。2年間もガジュマルの木の上で。見つかったら殺されるわけだから敗残兵に見つかったら。そういう緊張状態を2年近くも耐えて、木の上で暮らしていたというのは想像できなかったですね」
こうした過酷な歴史を多くの人に伝えたいと、伊江村ではガジュマルの保全活動に取り組んでいます。木の所有者・宮城さんはここを訪れた人たちの案内役も務めています。
宮城良文さん「我慢して苦しくても生き延びたのは家族への思い。絶対死んではいかん、諦めない、ただこの一念だと思う」
佐次田さんの遺灰の一部はこの木の下に埋められています。
宮城さん「(ガジュマルの木に)よくやったな、ご苦労さまと言いたいよ、本当に。佐次田さんも自分の命の木だと言ってね、自分が92,3の時に亡くなって。『自分の灰はガジュマルの木の根っこに散布してくれ』といって」
ガジュマルの木は、周囲が焼け野原となった中でも、たくましく残り、2人の命を守ったのです。
舞台での2人のやりとりはあくまでもフィクションですが、この中では、極限状態に置かれた人の心の変化や沖縄と本土との微妙な距離感などを鋭く描いています。
『島、島ってなんだ?俺たちが背負っているのは、この小さな島が全てじゃないぞ。お前はそのことを全くわかっていない。それはお前が本当の意味での国民じゃないからだ』
蓬莱竜太さん「日本と本土と沖縄と言いう2人の象徴的な関係。未だに手を取り合えるわけでもなく、離れられない関係でもあるし」
また日本兵の発言などを通して「沖縄戦とは何だったのか」を考えさせる内容にもなっています。
『違う、俺は知っていた。俺たち上の連中は皆知っていた。この戦争が負けると言うことを。不毛なんだ。この島は終戦を取りまとめるための材料、時間稼ぎ、意味の無い戦い、意味の無い死体。みんな死ぬ。それを俺は知っていた』
佐次田勉さん「戦争というのは人を殺し、殺される。これが戦争なんですよ。一番人類にとって悪質な暴力だと思う。それを再び繰り返したらいかんと。そのことをガジュマルは僕らに語ってくれているという思いです」
過酷な状況で生き抜いた2人の兵士。そして今も静かに佇むその木は、私たちに戦争の愚かさや平和の大切さを伝えているように感じました。
『守られているものに怯え、怯えながらすがり、すがりながら憎み、憎みながら、信じるんです。もうぐちゃぐちゃなんです』
最後の新兵が言った言葉「守られているものにおびえ、おびえながらすがり、すがりながら憎み、憎みながら信じる」というのは、70年の時を経た今も変わらない、沖縄と国の関係の縮図のように感じます。
「木の上の軍隊」は3年ぶりの上演ということです。辺野古移設、そして高江の混乱など様々なニュースが3年前にもまして全国のニュースで流れるなか、東京での上演は大きな意味を持つことは間違いないようです。
東京での公演は今月27日までですが、来年には沖縄での公演を実現させたいと伊江村の皆さんが力を入れているということです。