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昭和初期、沖縄からも多くの人が希望を抱いて海を渡った土地がありました。中国大陸に存在した、「満洲」です。満洲の盛衰と歴史に翻弄された人々の壮絶な苦労を今に伝える特別展が7日から糸満市ではじまりました。
広々とした道に、整然と建つ立派な建物。かつての満洲、大連で戦前に撮られた写真です。元県知事の稲嶺恵一さん。1939年まで満州・大連で過ごしました。稲嶺さんは「街並みなんかもね、素晴らしい。7,80年前の街並みですよ。これ今でもおかしくないくらいきれいで整っている。当時からすでに水洗便所なんかあったりしてね」と話しました。
1936年、政府が100万戸の農業移民を満洲へ送り出す計画を打ち出すと、沖縄からも、豊かな生活を夢見た人々が続々と移民。その数はおよそ3000人にのぼりました。父親が移民し、2世として満州で恵まれた生活をしていた名城郁子さんは敗戦を境に、状況が一変。日本への引き揚げは想像を絶する過酷な経験でした。
名城さんは「歩いて避難してきた人たちも麻袋をかぶって首のところを開けて、零下20度になりますから、寒い冬を過ごす間に腸チフスになってどんどん亡くなった」と当時の記憶を語りました。
稲嶺さんも「光の満州、本当の闇の暗い満洲。その意味で考えさせられますね」「国策として行ったけれど、その犠牲は行った人たちが全部背負って生きた」と満洲への思いを語っていました。
希望を抱いて満洲へ渡ったウチナーンチュを襲った戦争の悲劇。貴重な証言や資料の数々を見ることができる特別展は、平和祈念資料館で12月11日まで開かれています。