塩屋湾を囲む7つの集落で行われる大宜味村塩屋の「ウンガミ」。歴史は、およそ500年と言われています。今年も爬竜船に五穀豊穣や無病息災・子孫繁栄の祈りを乗せて盛大に行われました。
この神事に欠かせないのは、「ノロ」。ノロとは、神とこの世をつなぐとされる存在で、神事において重要な役割を担っています。
山城トヨさん(97歳)「休んだことないよー私がいなければできないんだのに。」「これで私は、長生きしているはずよー。」
山城トヨさん。今年カジマヤー迎える96歳。13歳のころからこの祭をつかさどり、ノロ歴は実に83年になります。トヨさんがノロになるきっかけは、思いがけない出来事でした
トヨさん「おのオバーにウートートーさせたら私の線香がぱちみかしたわけよ。それで、私にさせたって話していたよー。」
小学校を卒業したばかりのトヨさんにとって荷が重い役目でした。しかし、500年代々受け継がれているものを絶やしてはいけないと、戦時中もこちらのシルクの着物やマガタマ・かんざしなどはずっと大切に持ち歩いていたと言います。
トヨさん「(Q:戦争中はどうされていたんですか?)だから持って歩いたよどこもかも。」「ずっとずっと山奥だよはーもう大変だったよ。」
そのおかげで戦後もすぐウンガミの行事が行うことが出来たそうです。
トヨさん「波風立てず立派にハーリが執り行われますようどうぞ見届けてください。」
トヨさんの仕事は、ウンガミの前日から始まり、ニライカナイの神をお迎えするのです。
神事には、トヨさん以外にもカミンチュといって女性が携わっていますが、以前は40人ほどいたカミンチュも高齢化が進んだり、後継者がいなかったりで年々減少しています。
宮城有美さん「実際、やるってなって何から何をやっていいか分からない。今年もですけど緊張します。」
40代で若ノロになった宮城有美さんは、島を離れ遠くに住んいますがこのウンガミの時期になると毎年戻ってきます。
有美さん「だんだん覚えて行くんだろうと思うんですけど、早く覚えなくちゃいけない。皆さん高齢なのでだから。」
ウンガミ当日、神に仕えるノロがカミンチュたちを従えて、3か所の拝所で、祈りを捧げます。新米の若ノロ宮城さんは、まだおぼつかない様子でしたが、先輩たちの手ほどきを受けながら行っていました。
ノロたちと杯を交わし、餅をもらうことでこの一年の厄が払われ、健康になると言われているため。多くの地域の人や観光客が駆けつけていました。
観光客「ノロさんに握手してもらいたくて。96歳で現役で13歳からずっとノロさんをやっているというのを聞きまして、これは握手してもらわなければと思ってきたんですけど。」
代々ノロに受け継がれてきた衣裳やマガタマが見られるのは、この屋古アサギだけの一瞬。トヨさんは、戦争を潜り抜けた宝物をしっかり身に着け見守っていました。
そして、山の神様に向かって深く拝みノロがカミンチュの背中を、ススキの束で払う神ウスイ。このあと、祭りのハイライト、爬竜船競争がスタートするのです。
青年会会長 松本さん「部落が盛り上がってみんなが団結できる、唯一のイベントなんで、そのためだけに帰ってくる人だったり、そうしないと顔を合わさないひとだっているので、先祖からの最高のプレゼントだと思っています。先祖なんかのこうやってきて続けてきた伝統を、今でも続けていることがこの部落の誇りでもありますし、どういう形であれ続けていかないといけないという文化の一つだと思いますね。」
男性「子孫繁栄を守っていたり我々の子や孫を守ってくれる、一つのよりどころでもあるんではないかなと。」
国の重要無形民俗文化財でもある「塩屋のウンガミ」。その500年の歴史は、ノロが支えてきた歴史でもありました。
トヨさん「(朝から長かったんですけどお疲れさまでした。)いやお疲れあらん。ほっとしているよー。」
この日、トヨさんは私たち撮影スタッフが音を上げるような暑さにも関わらず、8時間もの行事を取り仕切っていました。神事に関わる人が減少している中、長い伝統を守り続けているのは、トヨさん逹のような人の存在があるんだということを実感しました。
後継者へのバトンタッチというのはどの世界でも課題でしょうが、あの祭りをみると、いつまでも続けてほしいって思います。