Qプラスリポートです。きのうから特集でお伝えしている与那国島出身の民謡歌手福里安展さん。自身も病気と闘いながらも、亡き父から受け継いだ子守唄を届けたいふるさとでの初ステージです。
『Q+リポート 父が託した与那国の子守唄 (1)』
本番前、福里さんと女の子のやりとり「はーでー」は与那国のあやし言葉だからね。(歌う)結婚して子どもができたら必ずこれを歌うんだから。自分の子どもに必ず歌ってあげるの、間違いなく。この日、福里安展さんは、肺ガンを告知されて以来初めてのステージに挑もうとしていました。
Qどなたが着ていらしたんですか?福里さん「お父さんが。僕の親父が。」
三線の名手だった父、武市さんは、16年かけて作った与那国の子守唄と童謡の工工四を息子に託して、亡くなりました。福里さんのために島外から駆け付けた同級生にとっても特別な歌です。
福里さんの同級生・宮良亮行さん「昔のおばあさんたちの裸足の時代。難儀、苦労している時の思い出。(演奏中)吹きながら涙が流れるんですよ。」
福里さんの同級生・奥津澄江さん「未だにそれは脈絡として、体の中に流れついているという感じ。」
午後7時 コンサート開演
福里さん島の言葉で挨拶「与那国の人、来てくれるかね?と聞いたら、「みんな島の外に出てしまったので5人いるかね」と言われた。子どもに子守歌、童謡を教えようと思って。」
まずは童謡の遊び方を教えますが・・・会場の女性「すいません、通訳お願いします!意味が分からない」与那国の言葉が分かる人は島でも少なくなっています。
子どもが歌詞を読む、福里さんが訳します。子ども「いぬてぃぬはん」福里さん「子犬の足」子ども「どぅらいまっこ」福里さん「みんな一緒に。与那国で生まれた素晴らしい言葉だと思う。みんな寄り集まれ。」
福里さん「自分たちの言葉、面白いでしょう?だから、覚えて。歌わないと。覚えられませんから、歌って覚えてくださいね。」
子守唄「はーでー」
『はーでー ふるてぃやよ(良い子よ)まいふなど あいわれゃよ(お利口さんだから)うぶとぅにん たがとぅにん なりわりよ(偉い人になりなさいね)ふるてぃやよ(良い子よ)』
しかし、開演から1時間福里さんに変化が? 「これ以上歌うと呼吸が止まりそうです。すみません。」「やっぱり肺の影響があるから、高い声を出すと無理なんだ。いきつぎが出来ないんですよ。」
肺の影響でそれでも、「なんとか伝えたい」その強い思いで、1時間半のコンサートを歌い切りました。
福里さん「たぶんあと10年くらいで言葉っていうは消えていく可能性がある。」「島言葉が無くなっていくと、たぶん歌もなくなると思います。歌もなくなっていくと、こんな悲しいことはないですよね。」「みんなでこころひとつにしてやっていかないとね」「与那国の人はどぅなんとぅ。どなんとぅのくくる。ちまぬちまぐくる。」