Qプラスリポートです。
皆さん、過去に「らい予防法」という法律があったことをご存知でしょうか。これは、不治の病と言われたハンセン病患者を隔離するための法律でこの法律により、患者は差別やいわれのない中傷を受ける根源にもなりました。
このらい予防法が廃止されて、今月31日で20年。元患者は今どんな思いなのか、取材してきました。
元ハンセン病患者平良仁雄さん(77歳)「法律は(廃止されても)、私たちの胸の中に今なお生き続けているということなんです。どうしてかというと、自分がハンセン病回復者であるということを口から出せず、隠れて身をひそめて生きているのが事実なんです。」
元ハンセン病患者平良仁雄(じんゆう)さん。7人兄弟の長男として生まれ、家族の中で、1人だけハンセン病を患いました。
平良さん「ハンセン病療養所の中がどういうものであったか。この看板が短い字で表現されていると思います。」
1907年、当時の政府は「らい予防法」を制定し、ハンセン病患者を隔離する政策を始めたのです。そしてその後国民をハンセン病から守るという名のもとに患者は次々に療養所に収容されていきました。
平良さんも当時8歳という幼さで、家族と別れ、愛楽園での生活を余儀なくされました。
平良さん「ここの面会室にくると、自分が隔離されている身であるということを実感する時であった」
隔離されて数年後、父と再会した「面会室」。東京の大学院生に、平良さんはその時感じた無念のおもいを語っていました。
平良さん「私たち親子が久しぶりに再会したのに。なんで手を握ってくれなかったか、なんで抱き着いてくれなかったか。それはらい予防法という法律があったから。らい予防法という法律に対する怒りがわーっとこみあげてくる」
親子の絆をも壊した法律。平良さんは怒りを込めて当時の思いを語りました。多くの元患者を苦しめたこの「らい予防法」による隔離はおよそ90年続きます。
平良さん「ひとりの人間が90年間縛られてごらん。好きな人と一緒に暮らすこともできない。一生涯自分のこどもを作れない。ということは自分の子孫を残せない人間として生きていかないといけない。」
「らい予防法」は1996年に廃止。平良さんは、17年前に愛楽園を退所しましたが、今もなお176人がここで生活しています。
平良さん「現在隠れている人たちが、隠れて生きることがなくなって、はじめて法律の廃止、ハンセン病問題が解決したと言えるんじゃないかと思っている」