今からおよそ60年前。沖縄が本土復帰する前に東京では、アメリカ軍基地を巡る大規模な住民運動が起きていました。これに関わった男性が今沖縄を訪れています。彼の目に映った辺野古、そして沖縄の人たちに寄せた思いを聞きました。
旧暦の12月8日、辺野古のゲート前でもムーチーが行われました。そこに参加した一人の男性。土屋源太郎さんはかつて、アメリカ軍基地の拡張を阻止する闘いのリーダーでした。
1955年から始まった砂川闘争。アメリカ軍立川基地の滑走路拡張工事を巡り、土地を奪われまいと抵抗する農民たちと警察が激しく衝突しました。支援のため、学生たちも駆け付け多い時は6000人規模に。男だけでなく、割烹着姿の女たちも座り込み「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」を合言葉に立ちあがったのです。
東京都学生自治会連合会の委員長だった土屋源太郎さんは、無断でアメリカ軍基地に入ったとして、刑事特別法違反で逮捕起訴されました。
土屋源太郎さん「こちらが当時の闘争の現場です。労働者、学生、地元の人がここへ抗議のために押し掛けた。最終的にこれ(柵)が倒れて中に入った。」
厳しい判決を覚悟していた土屋さんでしたが、裁判は意外な展開を遂げます。一審の東京地裁・伊達秋雄裁判長の判決は思いがけないものでした。
判決内容「合衆国軍隊の駐留を許容していることは、憲法第九条によって禁止されている陸海空軍、その他の戦力の保持に該当すると言わざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上、その存在を許すべからざるものと言わざるを得ない。」
つまり日本にアメリカ軍が駐留することそのものが憲法違反だとして、土屋さんたちを無罪にしたのです。
土屋源太郎さん「正直、これは予想外でした。本音を言うと、判決が出た時は、物凄く感動もしたし、ビックリしました。」
その後、国は最高裁に上告。結局一審判決は破棄され、土屋さんたちには有罪判決が出されました。しかし、アメリカ軍の駐留そのものが憲法違反だと指摘した伊達判決は、基地問題を考える上で、今も重要な存在になっています。
久しぶりに辺野古を訪れた土屋さんの目には、かつての自分と重なる沖縄の人たちの姿がありました。そして複雑な思いもわいていました。粘り強い闘いの末、立川ではアメリカ軍基地の拡張を阻止しましたが、それが皮肉にも、沖縄の過重な基地負担につながったと考えているのです。
土屋源太郎さん「確かに私どもは当時55年、56年に反基地闘争をやって、そのために基地が縮小されたり、廃止になった。しかし結果としてその大半が沖縄に移設されてしまった。そのことに対して、本土で本当の意味で、それを阻止する闘いができなかったこの思いが大きいと思う。」
これは在日アメリカ軍の専用施設の割合です。上が本土、下が沖縄です。1972年の本土復帰を前に、沖縄の負担が増えているのがわかります。
土屋源太郎さん「オスプレイの配備については、佐賀の反対があったから取りやめると言っている。明らかに沖縄に対する差別。本土と沖縄の対立を生みだす。そこをはっきりその本質を見て、これから言っていかないとだめだと思います。」
本土と沖縄が一緒になって、この事態に向き合っていかなければ基地問題は解決しない。土屋さんは今も声を上げ続けています。