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戦後70年の今年、QABでは「遠ざかる記憶、近づく足音」として1年間、戦争体験者の貴重なお話、そして、受け継ごうとする人たちを取材してきました。きょうは、戦後70年この1年を振り返ります。

【ひめゆり最後の講話】

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沖縄戦から70年。県内外の人たちに沖縄戦の実態を伝えるために自らの体験を語ってきた「元ひめゆり学徒」。

島袋淑子館長「知らさなければ戦争はまた起こるかもしれないという気持ちがあって、ずっとこの年になるまで毎日のようにここにきて伝えて参りました」

資料館の開館から26年。二度と同じ過ちを繰り返してほしくないという思いで続けた「講話」3月27日、最後の日を迎えました。

【70年目の再会】

この日、ガマフヤーの具志堅さんと土の中に眠る妹を探す男性。アメリカ軍の砲弾により5歳で亡くなった妹。その妹を埋めた兄が70年前の記憶を辿り続けること4日。

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具志堅隆松さん「(Q出てきたのはどこの骨なんですか?)頭蓋骨の真上あたり」

保志門繁さん「いやーありがとう長い間ねんねんこしていたね。ありがとう」

【臭いで辿る戦争の記憶】

70年前の壕の体験を伝えたいと今年、再現されたもの。

金城栄善さん「一番の記憶は臭い。臭いが一難記憶、あとうめき声と」「うーーーこの声よ、これだけは耳にあるね」「本当に地獄よ」

南風原文化センターが体験者の記憶をより鮮明にしようと作られたのは病院壕内の臭いでした。

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南風原文化センター上地克哉学芸員「戦後70年もたつと私たちも装ですけど戦闘っていうのが近く感じない。(戦争)をやってはいけないっていうのを身を以て体験するためには臭いというのが有効じゃないかなと思っています」

鮮明になった記憶、金城さんは子や孫へ戦争の恐ろしさを語らなければという使命感を持ったといいます。

金城栄善さん「こういうおじいちゃんがやった歩いた戦、戦争というのはもう絶対にやってはいけないよ」

【遠ざかる記憶】

辛い体験を話すことで、2度と同じ過ちを繰り返してほしくないと訴える体験者。そんな中、ことし安保法案が成立、体験者からは「いつか来た道」という言葉も聞かれました。

参加者「耐えられないですよね(戦争体験者の)僕らとしては2度と戦争をやるような社会にしたくないから」

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その中で立ち上がった若者たち。「平和を繋ぐ」決意が聞こえてきました。

SEALDs元山仁士郎さん「自分たちで少しでも声を上げてメンバーと協力して上の世代の人たちとも協力していけたらいいなと」

【29年続く平和学習】

今年も多くの修学旅行生が沖縄を訪れました。

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元白梅学徒中山きくさん「沖縄戦を体験して世界中の人間にとって一番やっていけないのは戦争だと思っています。どんなことがあっても戦争は止めなければならない」

1年間かけて、沖縄戦を学び、体験者の話を聞く。東京都の和光小学校の取り組みは29年間続いています。

児童は「(沖縄は70年前と)同じような感じ基地があって事故が起きるのは同じような感じ戦闘機が落ちてくるのも同じだと思います」

【ひめゆりの戦争体験継承】

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そして、講話の予約を終了したひめゆり平和祈念資料館では。

ひめゆり平和祈念資料館仲田晃子説明員「最初は外科、内科、伝染病棟とありましたけれどもこれが戦争ですのでもう大けがの人がどんどん運ばれてくる中で沖縄戦が始まってしばらくするとすぐ全部が外科に」

10年前から説明員を採用、そのバトンは着実に受け継がれています。

【お笑い米軍基地のメッセージ】

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お笑い米軍基地より「これが平和これが戦争」「あんたたちは今、どこに向かって歩いているのかね。右かね左かね。」

70年前、20万人余りの人々の命を奪った壮絶な地上戦。その体験を語り継ぎ、「平和」を築いていくこと。私たちはそのバトンをしっかり次世代へつないでいかなければなりません。

戦後70年、遠ざかる記憶と共に近づく足音。今私たちは改めてこう問わなければなりません。

「みるく世がやゆら平和でしょうかと私は風に問う」