こんばんは、スポーツです。およそ2万7千人のジョガーが42,195キロに挑んだ第31回NAHAマラソン。ことしも盛り上がりを見せたこの大会にはマラソンでつながるある家族の姿がありました。
ハチの仮装の女性2人「(きょうのコンセプトは?)ハチの…妖怪?(妖怪なんですか?)いや、妖精です!(笑)」
ドラえもんの仮装「空を飛びたい気持ちから…でも飛びませんけど(背中見せる)「つらくてもタケコプターはつかわない」」
ことしもおよそ3万人がエントリーした沖縄師走の大イベント、NAHAマラソン。例年多くのジョガーがコスチュームにも気合いを入れるこの大会。
その中に、「比嘉家はひとつ」の文字を記したお揃いのTシャツを着た家族の姿がありました。
大会前日、3人で軽く汗を流すのは比嘉さん一家。第1回大会から毎年NAHAマラソンに出場している盛徳さん(76)
その姿に刺激を受けた息子の基さん(46)が一緒に走りはじめその後、孫の泰斗さん(18)も加わり、3世代そろっての出場となりました。
比嘉基さん「うちの父が走っているのは小学校から見ていますので。毎年こう、僕も走ってみたいなというのはありましたよね。」
比嘉泰斗さん「気持ちで負けないようにみんなと一緒に走るというのは一番ありますね。」
盛徳さんはかつて26大会連続完走も果たしたNAHAマラソンのベテランランナーでメダルの数もご覧のとおり。しかし、ここ数年は心臓を悪くしたこともありメダルには届いていません。
比嘉盛徳さん「最近メダルをもらえなくなったもんですから、まだまだ欲しいですね、メダルが。」
今回も体力的には厳しいと話す盛徳さん。それでも3世代揃っての出場が気持ちを昂らせると言います。
比嘉盛徳さん「子どもや孫がね付いてきてくれたというのは私もまた大きな喜びでありますし、一緒にNAHAマラソンのスタートができるということは何よりでございます。」
子どもと孫と一緒だからこそことしもスタートを切れたNAHAマラソン。最初はペースを合わせ3人一緒に。
比嘉盛徳さん「比嘉家は一つということでスタートして1キロくらいまで3人で一緒に走って和やかな会話もしながらスタートしましたけれども。」
その後は、お互いゴールを誓いそれぞれのペースで南部路へ。基さん、泰斗さんが軽快に走る中、その2人を追うように、盛徳さんも足を前へと進めていきます。
比嘉さん一家をはじめ、懸命に走るジョガーたちの背を押すのがNAHAマラソンの魅力となっている絶え間ない沿道の応援。応援から力をもらうジョガーたちが21.3キロの中間地点を続々と通過。12時5分に基さん、7分に泰斗さんも通過します。
そして、12時15分。制限時間がやってきました。その頃、盛徳さんは…16キロ地点にいました。
比嘉盛徳さん「(歩きながら)もうこれはおそらく限界だね初めてだよ、こうして歩いたのは。」「比嘉家は一つだから、スタートからゴールまで一緒にできたら良かったのになぁと。もちろん心は一つですので、かえって私が完走できなかったので彼らがもし完走すれば、さらに絆が強くなるんじゃないでしょうか。」
比嘉家のメダルは2人に託されました
比嘉基さん「(Qおじいちゃんもうリタイアしたみたいで…)そうですか、その分頑張ります。(あと12キロ頑張ってください。)はい!頑張ります。」
泰斗さんは後半ペースがあがり順調にゴールへと近づきます。
比嘉泰斗さん「きついんですけど身体的には、でもあと8キロなんで余裕です。」.
一方、基さんは豊見城を制限時間の8分前に通過。ゴールまでは時間との戦いとなっていました。雨が一際強さを増した午後3時ごろ多くのジョガーたちが、感動のゴールを迎えていました。最後の関門を潜り抜けその場所にたどり着いたのは、泰斗さん。ゴールの外で待っていた盛徳さんと合流します。
あとは基さんだけですが、刻一刻と迫る制限時間。残り5分となったその時でした。
比嘉盛徳さん「メダルは私も50個くらいありますけども、こんなに重さを感じるずっしりとしたメダルは初めてですね。」
比嘉基さん「途中はメダルをかけることしか考えていなかったです。」
比嘉泰斗さん「3人でゴールするのは無理だったんですけど、2人ゴール出来て本当に良かったと思います。」
比嘉盛徳さん「こうなればもう安心して引退できますね(ちなみに本当に引退するんですか?)」
比嘉基さん「しないと思いますよ3人(笑)」
NAHAマラソンを通して、また一段と強く一つとなった家族がいました。
ちなみに来年以降も盛徳さんがNAHAマラソンを走るのであれば基さんも泰斗さんもまたそろって走るということです。比嘉さん一家を始め、ジョガーのみなさん、お疲れ様でした。以上スポーツ部でした。