こちらは、糸満市の戦時資料の上下巻合わせて15534ページにも上るこの貴重な資料は、戦後50年の節目に市民3万7047人を対象にした戦争体験の聞き取り調査などを実施して発刊されたものです。
そこには、糸満市での沖縄戦の姿が書き記されています。この調査から20年、戦後70年の今年、糸満市は、さらなる継承、つなぐを課題にQABと共に新たな取り組みを始めました。
国吉眞栄さん「初めて聞く艦砲射撃ですからこれは、もう耳をつんだくような音で生きた心地しない感じでしたね。」
声を振り絞るように戦争の記憶を語るのは、糸満市出身の国吉眞栄さん85歳です。この日、テニアンで体験した自らの記憶を辿りました。時折、うまく呼吸が出来ず息が乱れる国吉さんですが、それでも今語らなければという強い思いで私たちの1時間余りのインタビューに答えてくれました。
国吉眞栄さん「救急車で運ばれないかなって言って健康保健手帳も入れてあるんですよ。」
戦争体験者から戦争を聞き取る。これは、糸満市が今年度実施している映像記録事業「市民が語る戦中戦後史」です。QABが取材をし糸満市と関わりのあるおよそ30人から戦前の暮らしや戦争中の出来事、戦後の復興の様子などを聞いて記録しています。
加島由美子主幹「70年という節目で戦争体験した方もかなり高齢になっていてこれやるには、今を逃したらできなという危機感もありながら」
事業を担当する糸満市教育委員会の加島由美子主幹。糸満市史の編纂に携わり20年になります。糸満ではこれまで、文字資料として証言や戦災調査などを盛り込んだ市史は発刊していますが、子どもたちにどう分かりやすく戦争の記憶を継承するかが課題でした。
加島由美子主幹「子どもたちがとって読むには、ちょっとハードルが高い本であるなと実感がありました。」
子どもたちにも分かりやすいように文字資料では、表現できなかった体験者の表情や語る間合い、言いたいけど言葉にならない部分を映像で記録しています。
この事業に4月から加わったのが、新人職員の麻生清香さんです。
麻生清香さん「私自身は、お恥ずかしいんですが、あまりこれまで沖縄戦について勉強したことがなくて。市民のみなさんにお話しを聞かせていただきながら勉強している状態です。」
市が目標としている次世代への継承。それは事業を行う職員の加島さんから麻生さんへも継承される取り組みです。この日、加島さんと麻生さんが向かったのは、別の体験者の方への聞き取りの打ち合わせです
大城進榮さん「爆弾落ちてですね。そこであの怪我してそのときは、床も何もないんですよ。ここは、焼け野原にしてですね。焼夷弾で全部煙一発そしてこっちだけ残ったんですよ。瓦葺だけ。
戦時資料や各字の状況を把握しているベテランの加島さんからは、細かな質問が飛び交います。
加島由美子主幹「クシンカーもかなり距離ありますよね。」
大城進榮さん「わかるでしょ」
加島由美子主幹「わかります。大城さんまだ降りれますよ。」
大城進榮さん「よく分かるさー。」
新人の麻生さんは、必死にメモを取りながら証言者の語りに耳を傾けていました。
大城進榮さん「だんだんね年をとったら全部いなくなるので後輩に絶対に戦争させてはいけないということで我々としても非常にいい機会じゃないかなって思っていますね。」
沖縄戦の関連資料や体験者の証言は多く保管されている一方で戦争の記憶を次の世代へ継承する手段に頭を悩ませています。
加島由美子主幹「加島さん私達もらった分は、ここで止めるんじゃなくて誰かにつたえますらね。なるべく伝える場を多く持ちたいと思います。」
今年、戦争体験者の声を聴く事業に参加した麻生さんも戦争の記憶をたどることの大切さを実感しているようでした。
麻生清香さん「証言もそうですけれども語っていただくことを謙虚に受け止めて私の中で昇華できないこともたくさん出てくると思うんですけれどもこのたくさんの証言だったり資料だったり何が見えてくるかというものをちゃんと真剣に考えていかないといけないなって思っています。」
戦争体験をどうやって継承していくのか、その知恵も試されているような感じですね。戦争の悲惨を次の世代に伝えるために、戦争体験者が辛い記憶を思い起こし残した証言は、数多くありますよね。
でも受け取る側の私たちが、その言葉に耳を傾けなかったり、受け取るアンテナが弱かったりしていないか反省します。私も取材をして、受け取った側の責任をしっかり次へつないでいきたいと思いました。