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石原昌家沖国大名誉教授「一般住民9万4千人となっている中には援護法の申請をして申し立てをして、戦闘参加者と認定されているのは5万4千人になっているわけで」

戦後70年の今年、沖縄県公文書館で、初めて一般公開された資料。それは、沖縄戦が国によって大きく書き換えられた「援護法」についてのものでした。

「戦傷病者戦没者遺族等援護法」通称「援護法」は、1952年、軍人軍属の戦後補償として施行され、唯一住民を巻き込んだ地上戦があった沖縄では、その1年後に犠牲となった一般住民にも適用されることとなりました。

しかし、援護法が適用されるためには「戦闘に協力した」という証明が必要でした。

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石原名誉教授「援護法に適用させることが結果的に(沖縄戦を)歪めないと適用されないそういうものだったと思う」

秘密文書とされていた戦闘参加者概況表。これには、集団自決や壕提供など20項目に渡り、「戦闘に参加した」ことをどう記述するべきかが示されています。つまり、「援護法」を受け取るための手引書が存在していたことになります。

さらに、もう一つ。

援護法を受けると同時に、「戦闘参加者」は準軍属扱いとされ、靖国神社へ遺族の許可なく合祀されていたのです。

崎原盛秀さん「どのような形で資料が作成されて(援護法が)出たかについては見たことがないです。(靖国神社に電話したら)ちょっと待ってくださいとしばらくして「はい合祀されています」と」

崎原盛秀さん。沖縄戦で犠牲となった母親と兄が靖国神社に「祭神」として祀られています。1945年6月。日本軍によって壕から追い出された母・ウトさんは息子たちを連れ、激戦地と化した南部を逃げ惑いました。

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崎原盛秀さん「軍隊によってあなた方は出てくれと抵抗できない状況抵抗したら非国民とののしられたりして結局追い出された」

隠れる場所はなく、木の下で身をひそめていたところ、母・ウトさんに艦砲弾の破片が直撃、即死だったといいます。

崎原盛秀さん「積極的に壕を提供したとすり替えられていくことに対してそれは沖縄戦史を歪めていくもので、やはり歴史の真実をきちっと伝えるという意味でも靖国訴訟で質す必要があるのではないかと」

2008年。崎原さんたちは、国と靖国神社を相手に合祀取り消しなどを求めた裁判を起こします。最高裁まで上告しましたが、2012年6月、「上告理由に該当しない」として棄却され、敗訴が決定しました。

崎原盛秀さん「生きている間はそのことに対する抵抗を続けながら未来の子ども達が二度と沖縄戦の歴史を体験しないためにも沖縄が頑張らなくてはならないと思いますね」

戦後、生きるのに必死だった沖縄の人々。その中でこの「補償」は、生活の支えとなりました。しかし、一方で、援護法は、沖縄戦の悲しく恐ろしい事実を歪めたまま存在し続けています。

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今、この資料は私たちに何を訴えかけているのでしょうか。

石原昌家名誉教授「国というのが戦時に向けてどういうことをするのか」「援護法の対象になる人が作られていくのは何としても阻止しないといけないという警告にもなっている」