実は、レゲエダンスのジャンルで、若くして世界一の称号を獲った、うちなんちゅがいるんです。それがこちら、レゲエダンサー、I-VANさん。沖縄から世界一になった彼が、いま伝える幸せのカタチとは。
ジャマイカで行われる政府主催のダンス大会、ワールドレゲエチャンピオンシップ。日本人で初めて優勝に輝いたダンスチームのリーダーとして活躍したのがI-VANこと當山勝平さん。
今から11年前、2004年に単身でジャマイカへ飛び、2009年から本格的にダンスの大会に挑戦。2012年にレゲエの本場で日本人初となるチャンピオンの座を獲得した彼。意外にもそこまでの道のりは破天荒なものでした。
I-VAN「何もわからずとりあえずですね。沖縄って、黒人とか白人とか、基地があるから外人さんがいっぱいいるじゃないですか。それで外国に行きたいって思う人もいっぱいいると思うんですが、その中の一人というか、出たいなぁというのがありましたね。」
I-VAN「レゲエも好きだしジャマイカでしょ。英語もわからないジャマイカの言葉もわからないけど、わからないって素晴らしいなと思って。わかってしまうと躊躇するじゃないですか、わからないと自然体でいられるっていうか、わからないで飛び込んだんですけどよかったなと。」
思わず、ホントに??と言いたくなる話ですが、だからこそ若者には響くところがあるのかもしれません。ジャマイカから戻ってから始めた、生徒への講演活動は反響も大きいようです。
I-VAN「無理に就職するなよ、無理に大学とか専門学校に行くなよ、旅に出たほうがいい。」
大胆な切り口ですが、生徒は興味津々です。
I-VAN「自分が高校の時を思い出していつも話しするんですが、先生とか親に見えないことを伝えたいなと思って。みんな心を開くというか、誰も寝ている人がいないんですよ。みんな輝いてますね、目が。」
一度は県外に出て、外の世界から沖縄を見ることを勧めるI-VANの話ですが、最近は、取り組んでいる世界の貧困への支援活動から感じたことを話す機会も多くなっています。現在彼は、ジャマイカはもちろん、フィリピンやアフリカなどのゲットー地区と呼ばれるスラム地域に食糧支援を行っています。
I-VAN「平和ボケに気づきましたね。戦後の沖縄のおじぃおばぁの話がジャマイカには今も残っていて、いま日本に、沖縄に必要なのは不便なんだなって。また不便になったらみんなが助け合わないといけないから、そういう心を今忘れているなっていうのを感じましたよね。」
I-VAN「アフリカやジャマイカでは学校に行けなかったり、家の無い子どもたちがいっぱいいるんで、そのあたりをわかって、親に当たり前じゃなくて、感謝してねって伝えてます。」
I-VANの背中を追うように、ダンスをスタートさせる子どもたちも増えてきています。ただ、子どもたちが口にするのはダンスの楽しさだけではありませんでした。
中学生「I-VANさんと出会って自分が(まだ)ちっぽけだな…って。世界の話もいろいろ聞けて最高な時間を過ごしてます。」
高校生「もともと人見知りだったんですけど、ダンスを始めることによって、さらけ出せるようになる性格に変わりました。」
言葉では伝えきれない何かを子どもたちはダンスを通して感じているようです。
I-VAN「今後の子どもたちのために心を変えたいというか、背中を押してあげられる30代40代でありたいと思います。ダンスっていう最強の武器を持ってしまったんで、この武器は神様に感謝したいですよね。」
そう語るI-VANに同じく音楽というフィールドで活躍する沖縄の先輩からはこんな声も・・・。
モンゴル800 上江洌清作「アイバンの活動はすごいっすね。沖縄だけにとどまらず、日本だけにとどまらず、もちろんジャマイカ、こないだもアフリカに行って、素晴らし活動をしていると思うし、それをまた沖縄の子どもたちにどんどん還元していって。影響力あると思うんでこれからも頑張って欲しいと思います。」
モンゴル800 上江洌清作「(Q.ズバリI-VANを一言でいうと?)I-VAN?やっけーうっとぅアイバン♪いい意味で愛も込めてリスペクトも込めて、こいつやっけーだな、素晴らしいなぁ~って。」
ジャマイカでの生活が教えてくれたことは、厄介だから人生はおもしろい。どんな困難もいつかは自分の糧となって戻ってくると、笑い飛ばせるパワーこそが彼のダンスをも超える最大の武器かもしれません。
I-VANさんのジャマイカでの生活を綴ったドキュメンタリー映画、「ジャマイカ日記」が今月21日てだこホールで上映されます。その後は、九州から北海道までの映画ツアーがスタートし、全国の若者たちに情熱と夢を届けるということです。