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中山きく共同代表「私たち(沖縄戦)体験者にとっては、決して戦争悲惨さを忘れることはできない」「(翁長)知事の後押しを少しでもできればいいなと」

辺野古新基地建設反対の県民大会で共同代表の1人として立ち上がった、中山きくさん。きくさんは70年前の沖縄戦で、傷病兵の看護に当たった元白梅学徒隊です。86歳になった今でも、修学旅行生や教員研修など県内外、多くの人たちに沖縄戦当時の体験を語っています。

この日は、学生の遺骨収集ボランティアと共にきくさんたちが不眠不休で看護に当たった病院壕跡へ。

きくさん「ほとんどの兵隊さんがやめてくれ切らないでくれと叫んだんです。私たちは最初のうちはほとんど見ることができませんでした。」

数年前から思うように歩けなくなってしまったというきくさんですが、1人また1人と証言者が少なくなる中で、「二度と過ちを繰り返させない」と強い意志で講話を続けています。

きくさん「とにかく戦争の様子を伝えるのが私の使命だと思っていますから、きょうも若い人たちに伝えることができてよかった」

今では、毅然と当時の体験を語るきくさんですが、戦後、重い口を開いたのは20年前、同じように深い戦争の傷を負ったある場所に住んだことがきっかけでした。

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中山きくさん「復帰して2年目に(夫の)転勤が始まったの行ったところが広島、そして向こうで原爆のことを勉強するし被爆者の方にも会いました。次に赴任したのが長崎。あの時に決意したんです。広島、長崎の原爆と沖縄の地上戦これだけは絶対に後世の人たちに伝えないと、また私たちと同じように戦争を歩まされますから。」

沖縄に戻ったきくさんは沖縄戦を語る活動を始めます。証言ビデオの作成や修学旅行生への講話、そして、それぞれの女学校の元学徒に声を掛け、当時の記録をつづった証言本の製作も先頭に立って行ないました。本の製作から10年。今でも毎月、全学徒の有志で作られた「青春を語る会」は開かれています。

きくさん「中学生に講話するでしょ。中には沖縄は基地収入があるからやっていけるでしょという子がいる」

会では毎回、きくさんが新聞記事をコピーし、今、起きていることをみんなに伝え、講話に活かすよう助言しています。それは、きくさんが戦後70年の今、時代の流れを危惧しているが故のことでした。

きくさん「戦争体験者は今の時代をまた第二の戦争へ歩んでいるようにみんな感じていると思いますね。」

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そして、きくさんはみんなにチラシを配り呼び掛けました。

きくさん「これまで全ての県民大会を参加したのでできれば参加した方がいいと思うけど、無理だったらこのチラシ自分の代わりに必ず誰かに行ってもらうと」

これまで全ての県民大会に参加してきたというきくさん。証言活動を通して行動しなければ何も変わらないと訴えています。

きくさん「基地は抑止力ではなく戦争に直結するものであるということ今日は訴えます。(登壇する)戦争体験者は私一人だもん。」

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中山きく共同代表挨拶「私は沖縄戦で22人の白梅学徒の仲間を失いました。私の生涯の悲しみです。命こそ宝です平和が一番ですですけど、平和を保つために武力を伴わない平和が一番なんです。戦争を知らないみなさん、どうぞこれをわかってください。基地を強化して戦争がなくなるわけではありません。行動しなければ現状を黙認したことになります。要求貫徹まで頑張ることを私も決意してお話を終わります。ありがとうございました。」

戦後70年、沖縄の現状を嘆きながら平和の尊さ、非戦の誓いを訴え続ける元白梅学徒隊・中山きくさん。これからも、戦争を知らない人達へ語り続けます。

きくさん「私はやりますできるまで命を一瞬にして何十万も奪うのが戦争でしょ。だから絶対に戦争反対をこれからも続けていきます。」