こちら真栄田悦子さんです。真栄田さんは戦後ずっと家計簿を付け続けてきました。43年前のきょう沖縄は大きく変わりました。復帰前から復帰後の生活がどう変わったのか家庭を映し出す家計簿から読み解きます。
真栄田悦子さん 93歳、Q「一番古い家計簿ってどれですか?」A「こっちです。一冊目。 このときは、つける帳簿もないですけどね。」
読谷村に住む真栄田悦子さん93歳。終戦直後から毎日、家計簿をつけ続けています。その数66年分。今でも大事に保管されている家計簿には、悦子さんと沖縄の歴史が刻まれています。
真栄田悦子さん「復帰は、いつでしたかな?」72年ですか5月。
1972年5月15日。本土復帰ドルから円への通貨交換が行われ、通貨交換所には多くの人が詰めかけました。
真栄田悦子さん「向こうで並んで変えた覚えはあります。その時は、どんな気持ちでしたか?今まで持っているのが円になるというのは、なんか楽しいみたいでしたよ。日本のお金ですからね。」
うれしさの反面ドルから円に変わった時期は、お金の計算が難しく支出がどれくらいあるのか家計簿をつけるのも一苦労だったといいます。
1972年の帳簿からはその難しさが少しだけ垣間見えます。4月のガス代は、4ドル5月には記入がなく6月は1600円と通貨の単位が変わっています。さらにさかのぼって1949年の帳簿にはガス代は記されていません。
真栄田悦子さん「ガスが出るまではお風呂なんかもドラム缶がありますよね。かまど作ってから薪で。」
ガスのない時代からこれまでの歴史を悦子さんの家計簿からたどることが出来ます。また、家計簿を読み返すと支出や収入の数字だけでなく子育てについてもこんなメモが・・・・
メモを読む悦子さん、「子どもをしつけることの難しいこと。一生懸命勉強してきたつもりだが、ごーぐちも出来ないさーねー。」
世替わりの激動の時代と子どもたちの高校や大学進学とお金が必要な時期が重なった悦子さん復帰前の1969年から16年間は、あらかじめ家族のライフプランを表に書き込みお金の動きを予測し工夫してきました。
子どもたちの成長もみまもってきた家計簿。これからも悦子さんと共に歴史を刻みます。
真栄田悦子さん「今から何か年生きますか?」まだまだですよ。こんなお若いのに!「元気の間はやるんですけど。」