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戦後70年企画「遠ざかる記憶近づく足音」です。沖縄戦のさなか座間味島で集団自決が起きたのは70年前のことです。きょうは、沖縄戦での集団自決の研究・執筆に取り組み、今の世相に危機感を抱くある女性を取材しました。

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3月26日・座間味島での慰霊祭・中学生平和宣言「私たちは受け継がれた命を大切にし、この美しい島々で起きた戦争の悲劇を次の世代に語り継ぎ、平和で住みよい村つくりを目指すことを宣言します。」

3月26日、座間味村であった慰霊祭。70年前の3月26日、アメリカ軍は座間味島に上陸しました。日米合わせ20数万人が犠牲となった沖縄での地上戦の始まりでした・・・。

当時170人以上が集団自決に追い込まれた座間味村では26日、深い鎮魂の祈りに包まれました。

インタビューに答えた集団自決の生き残り女性は「良く生きていたな。と思って。みんなが死んだ中で私は嫌だって、集団自決嫌だって逃げたからそのぶん頑張って生きなきゃいけないかな」また、遺族の男性は「戦争がおきた集団自決がおきた島として後世に語り継ぐしか僕はないと思う。」

慰霊祭に出席していた座間味村出身の宮城晴美さん。宮城さんの母は、集団自決で生き残った人の1人でした。

宮城さんは「ここは昭和20年3月25日艦砲射撃があって、島中が燃え上がって地響きが続いている中を毎日のように軍の命令を伝えてきた伝令が住民の壕に行くんですね。日本兵がこの手りゅう弾で死になさいってことで、手りゅう弾を渡されて特にこの場所はその靖国神社に直結すると信じられていて、夫とか子を亡くした人たちは、ここでお祈りすれば靖国に通ずると信じていた。」と話しました。」

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大田昌秀さん「教科書に沖縄戦のことをのせていたのが、住民虐殺の問題なんか全部はずせってことで、政治が事実をゆがめて教科書に載せようとしている。」

元県知事の大田昌秀さんは10代の頃、鉄血勤皇隊として沖縄戦を経験しました。大田さんもまた、今の国の状況に危機感を持つ1人です。

大田さん「戦争を知らない世代が先生になっているもんだから、ましてや高校生とか中学生が戦争しらないわけ。軍事基地がこんなにいっぱいなければ懸念する必要ないかもしれないけど、これだけ軍事基地があって、戦争をしらないとね、基地を自然視する。」と危機感を語りました。

大田さんがインタビューを受けた首里司令部壕の案内板をめぐっては、「住民虐殺」や「慰安婦」の文字が今は消されています。

宮城さんはこれまで、数多くの悲惨な証言を聞いてきました。中には、家族を全てなくし40年の沈黙を破り証言した女性もいたことも語ってくれました。

大田昌秀さん「彼女は自分の子どもたちにもわかるようにあなたの方で書いてちょうだいと証言してくれたんですけども、この話をするときに1時間くらいかかりました。数分間の出来事なんですけど、言葉にできない。そのあと彼女1週間ずっとフラッシュバックで寝られなくて苦しんだという話しをしていました。生きている人たちの語りという形で、自分がすごく責められている。何ができるんだってそういうことが常にここに来ると問われている気がしています」

宮城さんは、歴史研究科として県史や、沖縄戦における集団自決の調査・研究を続けています。

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そんな宮城さんには、今、気がかりなことがあると話します。「2006年安倍政権になったところから慰安婦の問題が削除される。2007年3月には文部科学省は教科書の軍の強制・軍の関与を外した常に安倍政権とセットになっている。特定秘密保護です。今憲法9条を変えようとしている。紛争地に自衛隊を送ろうとしている。こういう流れは本当にいつでも戦争ができる状態」だと指摘し、国の形を変えるような重要な政策を、矢継ぎ早に閣議決定していく姿は、70年前の世相に似ていると危機感を持っていました。

宮城さんは、戦後70年たった今こそ、事実と向き合い、集団自決が何だったのか語り継ぐ必要性を感じています。

宮城さん「集団自決で子供や妻を殺さざるをえなかった男性たちの心理もこれも結局国家によってつくられた。命令っがあったうんぬん以前の大きな問題があることを私たちはきちんととらえないといけないと思っています。それこそ教科書だけに頼らない。家族の中で伝えあいながらそして、地域でもそれをやっていく、それを子どもたちが学校で学んで整合性を取るということも、これは今後の私たちの役割じゃないかと思っています」