特集です。先日、南風原文化センターが、戦時中の南風原病院壕で発生していた「臭い」を再現し、公開を始めました。臭いを再現するにあたって協力した男性の「臭いから思い起こされる戦争の記憶」をたどります。
金城栄善さん「一番の記憶は臭い。臭いが一番記憶、あとうめきと。うーーーこの声よ、これだけは耳にあるね。本当に地獄よ」
沖縄戦当時の壕内での悲惨な記憶を語る金城栄善さん(80)。当時10歳だった金城さんは日に日に激しくなるアメリカ軍の艦砲射撃を避けるため、兄弟で南風原の病院壕に逃げ込みました。
金城栄善さん「(Qきてみてどんなこと思い出します?)もう綺麗になったというのはあるけど、やっぱり感じますよ。(Qどんなこと感じます?)寂しいところだったなって。」
金城栄善さん「今言うと嘘みたいになるけど、本当に寝ている人も死んでるのか起きてるのか生きてるのか。手が切れて足が切れて、うじ虫も出るの。」
70年前、沖縄戦で数多くの負傷者がかつぎこまれた「沖縄陸軍病院 南風原壕群20号。」金城さんは当時の様子をこう話します。
金城栄善さん「動物の死んだ臭いとかも混ざっているけど、あれは人間の腐ったにおいさ。臭いがよどんでるわけさ。くさい。想像もつかない、くさい。」
病院壕の中にはどんな臭いが広がっていたのでしょうか。南風原文化センターは、当時病院壕の中で負傷兵の看護にあたっていた元ひめゆり学徒と壕内に避難した金城さんの5人に話を聞き、専門家の協力を得て戦時中の病院壕で発生していた臭いを再現しました。
南風原文化センター学芸員 上地克哉さん「戦後70年もたつと私たちもそうですけど、戦争っていうのが近く感じない。当時の壕の形は残っています。だけど当時壕の中に発生していたという臭いっていうのは欠落しているんですね。(戦争を)やっちゃいけないっていうのを身をもって体験するためには、においっていうのが有効じゃないかなと思っております。」
より当時の臭いに近づくようにと5人に何度も試作品を嗅いでもらい、ようやく完成した当時の病院壕の臭い。この日、金城さんが初めて完成した臭いを嗅ぐことになりました。
金城栄善さん「似ているよ。もうこの臭い覚えるというか、おえおえしたからね。これはこれだけしかしてない。私が小さい時に味わったのは全体によどんだ」
再現された臭いを嗅ぐほどに、金城さんの当時の記憶がよみがえってきます。
金城栄善さん「あんな臭いするより、外で弾きてもいいから、外がいいと思ったよ。艦砲よりも怖かったのに、あの臭いは。本当に」
ガイド 上間祐次郎さん「壕の中は真っ暗です。空気の流通もないです。それを想像しながら目をつむってね。」
南山高校生徒「嗅いだことのない臭い・・・」
戦争を体験していない若い世代でもこの臭いによってよりリアルに当時の様子を想像することができます。
南山高校生徒「今の病院は消毒の臭いとかすごく清潔な感じがするんですけど、とてもなんか痛そうな感じがする臭いでした。」「たぶんこの中で生活していたら本当に気が狂っちゃいそうなくらい。ここまでひどい臭いだとは思わなかったというか、嗅いでいるだけで怖くなりました。」
金城栄善さん「沖縄の戦争にあった人はみんな泣いたねという意味よ。戦になって、世の中のひとたちみんな泣いて暮らしたねという、この歌」
戦後、あまり戦争のことを語らなかった金城さんですが、再び臭いでよみがえった記憶を子供たちに繋いでいかなければと三線を通して、戦争の恐ろしさや平和のありがたさを語っています。
金城栄善さん「こういうおじいちゃんがやった、歩いた戦、戦争というのは、もう絶対にやってはいけないよという、絶対にやったらだめ。あんなくさい臭いもあれだし、あんな汚い生活をやらせたくないのよ、子どもたちには。」
金城さんは、自分が見た悲惨な光景、そして鼻の奥にこびりつく戦争の臭いがもう二度と戻ってこないことを願っています。金城さんは、今回本当ならば壕の中に入りたくない。臭いもできれば嗅ぎたくないという中で、自分が高齢になってきたからこそ、自身が強烈に残っていた臭いの記憶を今後も語り、伝えていきたいということでした。
戦後70年、戦争の悲惨さをよりリアルに伝えられるかが課題となっています。戦争が紙の上の記録としてだけではなく、体験者の記憶を体感することで伝えていくという、新しい具体的な取り組みです。南風原文化センターでは、この再現した臭気を今後ずっと公開していきたいということです。