1年前、この番組で福島県から避難してきたある家族を取材しました。今年もその家族の今を追いました。
福島のおじいちゃんおばあちゃんからもらったお気に入りのランドセルを背負って、学校から帰ってきた藤巻蒼空くん。この春、小学2年生になります。家に帰ると、まっさきに取り掛かったのは、算数の宿題です。
藤巻絵美子さん「学校も休みたくないというくらい楽しいみたいで。」
藤巻さんの一家は、5人家族。「原発事故から子どもたちを守りたい」と、震災の翌年、ゼロからの避難生活を始めました。
去年の311リポートインタビュー:藤巻衛司さん「子どもたちがのびのびと遊べない。外で土いじりが出来ない。松ぼっくりひとつ拾おうとしたって捨てなさいと言ってしまう状況で。あの時やっぱり避難しておけばよかったって、思うのが嫌だったので。」
弟の大地くんも、今は幼稚園に通っています。子どもたちは、沖縄の生活にもすっかり慣れ、すくすくと育っています。そんな藤巻さん一家には、先月、大きな変化がありました。
絵美子さん「旦那があっちの福島に戻ったということですかね。」
福島県の港町、相馬市。藤巻さんの両親が営むボートの販売店も4年前、高さ9メートルを超える津波に襲われました。震災後も営業を続けてきましたが、去年、後継者がなく閉店の危機にあったため、衛司さんが沖縄での仕事を辞めて、ひとり、福島に戻ったのです。
電話インタビュー:藤巻衛司さん「(Q:漁は始まっていますか?)漁はまだ始まっていません。(復興は)正直、思った以上に進んでいない。遅れていますよね。うーん、家族を残して帰ってくる、この辛さ。でも戻しても、福島に戻すにはまだ早いと思うし・・・。」
子どもたちは毎日、学校や幼稚園での楽しかった出来事を衛司さんに伝えています。学校で習った得意の算数をパパに見てほしい蒼空くんですが、会えるのは、2,3か月に1度になってしまいました。
県の調べによりますと、県内の避難者214世帯のうち、34%が両親一緒ではなく、母親もしくは父親のいずれかと子どもの世帯です。
アンケートで「いま、一番困っていること」は、最も多い回答順に「生活資金」「先行きが見えない」「住まい」などとなっています。県が、ひと月、最高6万円まで補助する「借上げ住宅制度」は来年3月までの期限で、その後、延長されるのかどうかは分かりません。
絵美子さん「もし1年後打ち切りになったらどうしよう。」
先の見えない、生活への不安・・・。そんな共通する悩みをもつ県内の避難者たちと、沖縄のボランティアたちがお互いに支え合おうと、震災の翌年、県内で立ち上げた支援団体、「ふちゅくるん」。蒼空くんと大地くんも毎回、参加しています。
ふちゅくるん会長・崎山峰生さん「沖縄にいて出来ることと言えば、そういう人たちを暖かく受け入れるというのが、一番いいのかなと思ってはいますけどね。短期間で終わる支援、関わりじゃなくて、これから先長く、続けていけるボランティア。」
そんな活動を支えている「東日本大震災支援協力会議」への募金は震災直後、2300万円を超えましたが、その後は減少し続けています。
県知事公室防災危機管理課・東日本大震災支援協力会議事務局 上村武士主任「今年度については、初年度に比べて約10分の1程度の落ち込みがありまして。やはり資金についても検討しないといけないということで。」
避難してきた人たちが、買い物の際に使える割引カードや、ふるさとに帰省する際の旅費の支援制度は、来年度も継続されることになりましたが、「ふちゅくるん」を支えていた助成金は来年度を最後に、打ち切りが決定しました。
絵美子さんは、子どもたちの健康のためこれからも沖縄で暮らしていきたいと考えています。しかし、このまま、震災や原発事故が過去の出来事になり、支援がなくなってしまう日がくるのではないか。そんな不安を抱えながらの日々が続いています。
絵美子さん「周りの人から見ると・・・ちょっと・・・忘れていく存在なのかな。」