1万5891人の命を奪ったあの東日本大震災から4年が経ちました。決して遠い昔ではない2011年3月11日、原発事故が収束しない中で今でも避難生活を強いられている人が県内にも823人います。11日の県内の表情です。
4年前の3月11日、午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震と巨大な津波が東日本を襲いました。この震災で亡くなったのは1万5891人、行方不明者も未だ2584人います。
県庁では地震発生と同じ時刻の午後2時46分に庁内アナウンスが入ると、職員は作業の手を止め亡くなった方々へ黙とうを捧げました。また、ロビーでは甚大な被害をもたらした東日本大震災を県民に忘れないでほしいとパネル展が開かれていて、東京消防庁などが撮影した震災直後の行方不明者の捜索活動など、甚大な被害の様子を写真で見ることができます。
パネル展を見た人は「こういったことが現実に起こったんだということをいつまでも考えていきたい忘れずに」と話し、他の人は「東北の復興が早く国が対応して4年前の日常生活に戻っていただきたい」と言っていました。
また、那覇小学校では宮城県石巻市で現在も牡蠣の養殖業を営む阿部政志さんを招いて、特別授業が行われました。阿部さんは震災後、全てが無くなった街の様子を見て、漁師を辞めようと思ったが、全国からのボランティアとの協力で震災以前よりも身の大きい牡蠣が獲れ始めていることを話し、子ども達にあきらめないで努力する大切さを訴えました。
阿部さんは「復旧じゃなくて復興をしたいと。復興して、子どもがね漁業をやりたいって思える様な漁業にしたくて」と子ども達に話します。
話しを聞いた女の子は「被災地の人は(震災時)どのようにしたのか、その人の気持ちがわかりました。」と言い、男の子は「暗い気持ちになると思うけど、みんな必死に頑張っていて、すごいと思いました」と話していました。