日本ハムファイターズで活躍した県出身の元プロ野球選手・糸数敬作さん。現役を引退し、新たに進んだ道を追いかけました!!
糸数敬作さん「一年経ったんですけど、最近まで自分やっていたような気持ちになります。懐かしい感じと少しだけ寂しい感じ」
糸数敬作さん。元日本ハムファイターズの投手として活躍していました。高校時代は、中部商業のエースとして活躍。2002年には、初めて甲子園のマウンドに立ちました。
『激しいゲームになりました。84回夏の開幕戦。11-8、帝京高校が中部商業をくだしました』
惜しくも初戦敗退。夏の甲子園で涙をのんだ糸数投手でしたが、その7年後・・・。
幼い頃からの夢舞台に立っていました。この日。1軍初先発・初勝利を挙げた糸数。この年、4勝を挙げるなど、活躍。しかし2011年に右ひじの怪我を機に登板が減り、2013年、戦力外通告を受け、引退。
糸数敬作さん「ずーっと野球しかしてこなかったので、自分の中でも戦力外になったあとでも野球を切り離せるものではなかった」
プロから離れて1年5か月。この日は、名護で行われた日本ハムのキャンプに来ていました。
「糸数さーん、応援してたんですよ。いなくなって寂しい」糸数さん「嬉しいですね。覚えてもらえるのがすごく嬉しいです」
糸数さん「今ダイビング業やっています。刺渡していいですか」日本ハムスカウト・芝草宇宙さん「ダイビング教わりに行きます。頑張ってね」
糸数さんがプロ野球を辞めて、新たに見つけた夢の舞台は故郷・沖縄の海、ダイビングの世界でした。
糸数さん「おはようございます!宜しくお願いします。(Q:今日は何人くらい?)合計15人ですね、今日多いです。(Q:何回海に潜るんですか?)3回ですね(大変ですね)野球の時はあー今日もかーっていうのがあったんですけど、今楽しく仕事が出来ているので、幸せです」
2013年に野球界から引退し、沖縄に帰ってきた糸数さん。翌年2月から知人のダイビングショップで働き、引退からちょうど1年後の去年10月に自分の店をオープンさせました。
「いってきます!」
糸数さん「2011年にはじめてダイビングした時に、こんな世界があるんだと衝撃受けた」
現役時代に潜った地元沖縄の海。その素晴らしさに一瞬で心を奪われました。
糸数さん「自分の人生29年間生きて来て、20年間野球だったので(引退した時は)何かぬけたような感じはあったんですけど、それを埋めてくれたのはダイビングなので」
糸数さんが新しく進む道に、一切の迷いはありませんでした。
糸数さん「お疲れ様でした。上に行きましょう」『とてもわかりやすくて、幸せでした』『現役の時から知っていますんで、あの日本シリーズは忘れないです』糸数さん「調べて来てないですか?ははは」
糸数さん「野球やっていて本当に良かったなって実感するのが、あの試合観ましたとか、応援していましたとか、そういうことを言っていただけると、今まで20年間野球やってきたことが無駄じゃなかったのかなって。今ダイビングの仕事してそういうことを感じることってすごく幸せだなと」
忙しく、家族との触れ合いも少なかったプロ野球時代と比べ、今の生活を糸数さんの家族はどう思っているのでしょうか。
妻・糸数明希乃さん「野球してる時と今どっちが楽しいですか?」娘「ダイビング」「私もダイビング。だって早く終わるから」
糸数さん「毎日家族といられるし、ダイビングの仕事も楽しいし。これ以上の幸せはないなと思っています」
糸数さん「お客様に満足して頂けて、ありがとうございましたって言う気持ちで送り出せるような感謝の気持ちと明るいショップになっていくように努力していきます」
仕事の後はこうして読谷の地を車で走ります。現在のショップは、現地集合現地解散のシステムですが、いつかは自分の店をかまえてお客様を迎えたい。そんな新しい夢を抱いているのです。
プロ野球界から引退し、新たな道へ進んだ一人の男。それは第二の人生ではない。野球があったからこそ今がある。感謝の気持ちを忘れず、明日も笑顔で海へ潜ります。