ここは、先月落成したブタばかりの「アグー村!」。今や沖縄のブランド豚として知られる琉球在来豚・アグーがテーマ。ここのアグーはこんな一芸も!
お座りを体験した男性「あぁいう豚がお座りするというのは初めてだったし感激しました。」
食べるだけでなく、見て、触れて、アグーをより身近に感じてもらおうという施設。この村の発案者は、村長こと、我那覇畜産の社長、我那覇明さん。豚と関わって50年のベテランです。
我那覇明さん「(アグーは)食べる場所は沖縄全島にたくさんあるんですよ。その中で見る場所がないと、アグーってどんな豚なんだろうとほとんどわからない方が多いので。」
その明さんのおススメがこの一本道で行われるイベント。それが、アグー専用のランウェイ!アグーが優雅に歩く姿を見て、楽しんでもらおうというもの。慌てすぎて、転んでしまうアグーもいますが。
ランウェイを見た女性「お尻がムチムチしていてかわいいですね。」「これを食べていたと思うと可哀想になっちゃう(笑)」
我那覇明さん「豚が歩く、走る、水浴びする。そういったものを見てもらうためにランウェイ作っているんですね。」
ランウェイをはじめ、明さんのユニークなアイディアを形にしていったのが息子の崇さん。崇さんは、小さい頃から父・明さんのアグーへの情熱を間近で見てきました。
我那覇崇さん「(父は)小さい時から豚について熱く語っていたので、家でもずっと働きっぱなしで休みでどこかに行った覚えはないんですけど、養豚場で唯一ずっと一緒にいたかなというのはあるんですけど。」
計画から、10年以上の歳月を経て、親子2代で実現した、この「アグー村」。父・明さんの長年の夢でもありました。
我那覇明さん「(昔は)朝起きてトイレ行く前に豚見たり、終わってから豚を起こしたり、いつも豚と接していましたね。」
琉球在来豚・アグー。明さんの子どもの頃は、広く農家で飼われより身近な存在だったと言います。しかし、戦後、繁殖力の強い西洋種の流入などに伴い、一時は約30頭にまで激減。絶滅の危機に陥りました。
我那覇明さん「これは保存せんといかんな、残していかんといかんなと。沖縄の財産なのに、と思っていましたね。これは絶滅の危機に瀕することの無いようにということで、どんどん今も増やしつつあるんですよ。」
アグーは名護市博物館や北部農林高校を中心に復元が進められ、徐々にその数を増やしていきました。我那覇畜産でも、アグーと別の品種を交配した食肉を販売し、その利益をアグー純粋種の飼育に充ててきました。現在では県内で約700頭にまで、回復しています。
この「アグー村」は、アグーがここまで繁殖してきた証であり、今後もその存在を絶やさないために明さんが作りたかったもの。その思いを共有しているからこそ、崇さんもまた、ともに夢を追いかけているのです。
我那覇崇さん「父親が話してるとおり、アグーを世界のアグーに、沖縄のアグーを世界のアグーにしていきたいという思いがあって、アグー村を作って、どんどん広げていきたいと思っています。」
親子2代で夢の第1歩を踏み出し、迎える2015年。ここからがスタートと意気込みます。
我那覇明さん「沖縄の財産なんですよアグーは、だから大切に大切に育てて、ずっと今後も作り続けてほしいと思うんです。」
我那覇崇さん「親父が言ってたんですけど、沖縄の宝であると自分もそう考えているので、どんどん絶やすことなく、アグー豚を作り続けていきたいというふうに思いますね。」