倉持「中川さん、ビーグって見たことありますか?」
中川「ないんですよ、畳のことですか?」
倉持「正確に言うと、畳表のことです。ビーグの茎を織り合わせて作ったもので、畳の表面に縫い付けるものなんです。ビーグの収穫が盛んなうるま市で、昔ながらの手法でむしろを編むおばあさんを取材しました。川村さんのリポートです」
うるま市与那城照間。ビーグづくりが盛んな地域です。150年から200年前に始まったというビーグの栽培。品質がよいと評判なのですが、高齢化や後継者不足で生産量は減っています。
池原トミ子さん、御年88歳。もの心付いた時には、もうビーグ作りをしていたと言います。電動の織り機が主流の現在も、昔ながらの手法にこだわって、むしろを織っています。
アカヤーマーと呼ばれる足踏み機。1本1本、水平に動く棒の先にビーグを引っ掛けて送り込みます。2本を手前に2本を後ろに。この作業が綺麗に波うつ「アヤ」を作ります。
緩みのないよう目を詰めてむしろを編む。それが手作りの味を出します。丈夫なむしろを作る為には、足でしっかり踏みこまなければなりせん。池原さんは、この仕上げの美しさにこだわっています。
池原トミ子さん「一番大事な作業、これで生活してるから」
家の中の様子近所に住む、写真家の西平正幸さん「40年前だと思うよ。20歳くらいの時に給料でカメラ買って、あまりに嬉しいから写真を取りに行った」
池原さんの家には、西平さんの撮影した写真が今でも飾られています。
西平正幸さん「今でこそみんな歳をとって、田んぼも少なくなってきたけど、やはり当時は生活の一部だったと思いますね」
池原トミ子さん「(雨が降ったら)みんなご飯食べる時もそのまま置いて、走って行ったんだよ、濡らしたらダメって、大変だったよ」
浜辺一面に敷かれたビーグ。どこの家庭もほとんどがこのビーグを作っていました。当たり前だったこの光景もだんだんと少なくなっています。
丁寧に時間をかけて作り上げたむしろ。手作りならではの美しさが自慢です。池原さんの人生はむしろと共にあったといいます。
池原トミ子さん「人生みたいな。こればっかしだのに。何もしない、どこにも行かない、このむしろだけ」
中川「綺麗なむしろでした」
倉持「池原さんのむしろへの思いが伝わってきました」