国際通りのシンボルだった沖縄三越が、先日、閉店しました。「沖縄の顔」ともいえる国際通りですが、地元客の姿はほとんど見られません。30年前から国際通りに関する調査を行っている那覇市は、国際通りの課題を早くから把握していました。調査報告から見えてきたものは何か、取材しました。
今月21日、老舗デパート「沖縄三越」が、57年の歴史に幕を下ろし、また一つ国際通りの灯りが消えました。国際通りの発展を担ったデパートでしたが、最近は、地元の客足がめっきり落ちていました。
若い女性「昔みたいに遊びに来る感覚っていうのは、もうないですよね。」
別の女性「国際通りから、主だったものがなくなってさびしい。地元のおばちゃん達は、どこで遊ぼうかしら?って。」
男性「あまり来なくなった。あのーおもろまちの方へ行くから。」
たくさんの観光客で賑わう国際通り、観光客を目当てにした土産物屋が軒を連ねています。しかし、3年前に東日本大震災が起こった直後は、急速に客足が減少しました。国際通りは、常にこうした不安を抱えています。
森田さんご店主「大きな企業さんとかは、見切りつけるのも早いんですよね。そういうときに、ポツポツ”歯抜け状態”というんですかね。パッといなくなるっていうのが、ちょっと懸念。」
「奇跡の1マイル」と言われ、戦後沖縄の復興と発展を象徴する通りとして知られる国際通り。沖縄の人々の暮らしを支えて来ました。デパートや劇場、レストランや宝飾店、写真館が並ぶ国際通りは、「憧れの通り」でもありました。
国際通りに店を構えて60年になる老舗は、かつての国際通りについて、こう語ります。
大湾洋服店 大湾宗弘さん「一言で言うと、”おしゃれな街”でしょうね。例えば、店の品物でも、憧れるようなものが、あらゆるものがありましたからね、この通りには。憧れるっていうか、”夢を作りだすようなところ”。沖縄の人たちみんなで作り上げた”夢のある場所”だったんじゃないですかね。」
地元客は、いつから国際通りから離れてしまったのか?県内のシンクタンクに取材しました。
りゅうぎん総合研究所 研究員 我那覇真梨子さん「国際通りに店舗を構える百貨店では、1993年に開業したジャスコ那覇ショッピングセンターといった大型ショッピングセンターの登場により、売上高はかなり影響を受けております。2002年に開業したメインプレイスという大型商業施設が影響しております。映画館、そして買い物といった消費行動がですね、国際通りから新都心に移ったことなどにより、百貨店の売上高は、長期的な減少となってしまいました。」
今回の取材で、国際通りから地元客が離れる懸念は、30年前から指摘されていたことが分かりました。これが、1984年から那覇市が行っている国際通りに関する調査です。報告書は、「今回の調査から強調したいのは、県最大の中心商店街でありながら魅力に著しく欠けた商店街であるということである。」と記しています。
1987年の報告は、返還される基地の跡地で行われる再開発により、商店街の間で競争が強化されると指摘しています。報告書は、今の国際通りが抱える課題を鋭く指摘しています。
行政は、調査結果を踏まえて、国際通りの魅力づくりのために適切な対策をとってきたでしょうか?
(質問)「『来店・来街調査』というような報告書は、その後の市の政策や何かに反映されたことはあるのでしょうか?」
那覇市役所 なはまちなか振興課課長 西浜浩也さん「特に、こういう政策をやったというものは、まあないんですけれども。もっとイニシアチブをとって、先導して、地元客を国際通りにもね、引っ張ってくることができたじゃないか?というような声があるかとは思います。」
国際通り会を、法人化した浦崎政克さん。それまでの任意団体の集まりでは、行政への様々なアプローチが弱いと組織を変えました。浦崎さんは未来の国際通り像を次のように描いています。
那覇市国際通り商店街振興組合連合会 元理事長 浦崎政克さん「もう90%以上は、観光客向けの観光土産品店に変わりましたからね。”地元と観光客が一緒になった街”というのが、理想の街なんですよ。それをどう実現するか。」
那覇市は、15年ぶりに”中心市街地活性化基本計画”を策定しています。30年前から指摘されていた”魅力あるまちづくり”。国際通りは、地元の人たちにも魅力ある”夢がある場所”、”夢を作りだすようなところ”となれるのか?待ったなしの時が来ています。