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翁長市長はなぜ出馬をしようと思ったのか。これまでの発言にその思いが垣間見える。

前回の県知事選挙で仲井眞知事の選対本部長を務めた翁長那覇市長。あれから4年。2人は闘うことになった。翁長市長と言えば、1997年から自民党県連の幹事長を務めるなど保守の顔とされてきた人物。そんな翁長市長がなぜ自民党からではなく、革新からも支持を受けて選挙に臨むことになったのか。

2013年1月、オスプレイの配備反対と普天間基地の県内移設断念を求め、保革の壁を超え、140人の市長村長や議員らが臨んだ東京要請行動。2013年1月。「基地を挟んで、保守革新がいがみ合うのではなく、オール沖縄で基地の整理縮小を訴えていこう。安倍総理は日本を取り戻すとおっしゃっているのですが、この中に沖縄は入っているのでしょうか。」

2013年4月「私が行動をとるようになったのは、一番最初は教科書検定なんですね。おじい、おばあから聞かされていた戦争の実相がどうも歪められてきているなと。沖縄問題はそういったものを認識して。そういったものの中から一つ一つ物事を進めていかないといけませんから。」

2013年12月にはこんな発言をしていた。2013年12月「(Q.仮にもし知事になられても、県外という考えには変わりませんか?)これ(県内)をやるぐらいなら、知事にならないでしょ。県民に絶望と暗闇を提供するために、知事なんかやって、そんなことをやるようだったら、元々その前の那覇市長から辞めたらいいわけで。」

翁長市長は10日改めて「辺野古」の問題が選挙の争点になると強調した。2014年9月10日「今回の選挙はある意味で、知事の行政行為に対して、基本的には公約の破棄でありましたから、新しい展開が出てきたわけでありますけれども、県民がこれをどのように判断するかというのが、知事選の争点になるかなと思っています」と話した。