Q+リポートです。今月19日は、51年前に亡くなった沖縄を代表する詩人のひとり、山之口貘の命日です。その山之口貘が詩を朗読したテープが学校に保管されていました。肉声に込められた沖縄への思いを追いました。
山之口貘。「貘さん」の愛称で知られた沖縄を代表する詩人は1903年9月、那覇市東町に生まれました。「絵の勉強がしたい」と、19歳の時ひとり東京に移り住みましたが、裕福だった実家が倒産、仕送りを絶たれ、都会でひとり、住む家もない、貧しい生活を送りました。
與那嶺由紀子さん「これなんです。元々、もらったのは、このテープなんです」
元高校教師の與那嶺由紀子さん。30年ほど前、県内のある高校で勤務していた時、「授業の教材として使ってはどうか」と同僚から一本のテープを譲り受けました。
與那嶺由紀子さん「(テープをくれた島袋先生が)首里高校で、国語科の古い備品を整理している時に、古いテープがあって、処分しようとしたけど、聞いてみると、山之口獏さんの朗読した、首里高で講演した時のテープだろうということを発見してですね。」
それは、1958年、34年ぶりに里帰りした貘さんが母校、首里高校で講演をした際に、録音したものとみられていて、詩はあわせて12編。貘さんの研究者である沖縄大学の高良勉教授に、聞いてもらいました。
高良勉さん「(貘さんの声だと思いますか?)」うん、間違いない。一番貘さんの初期の大事な詩が朗読されているということですね。私も初めてじゃないかな。あまり他では聞けないような朗読ですね」
耳を澄ませてみると、ラジオや、柱時計の音も聞こえます。
高良勉さん「首里高校で貘さん記念講演をやってもらったあと、生徒たちや顧問の先生たちがお願いして、文芸部との座談会をやったみたいですね。非常に気軽に、折角本人が来たから、本人に朗読してもらいましょう。くらいの気持ちで、24読んで録音したんじゃないかなと思うんですけど。」
貘さんは後輩たちを前に、東京で「沖縄出身である」と大きな声で言えない、苦しさを綴った詩を詠みあげていました。
高良勉さん「社会の最底辺で生活をしながら、詩を書いているんですが、その時に、体験した琉球差別だとか、なかなか大和の世界に溶け込めない。怒りは外にじゃなくて、自分に向かっているんですよね、堂々とうちなーんちゅ、沖縄人と名乗れない、自分の方に。」
本土で、沖縄に対する根強い差別が残っていた時代。沖縄と日本の狭間で生きる苦しさを生徒たちに伝えていた獏さん。現在東京に住む、娘の泉さんは・・・
山之口泉さん「父は、自分の母校である首里高校のみなさんに、人間の心を大切にする人になってほしいというようなことを言っていたと思うんです。今からの時代はその人たちが作っていくと(後輩たちに)自分を大事にして、羽ばたいてくださいという感じじゃないですか。」
那覇市の与儀公園。生涯、詩人として生き抜いた貘さんの碑がひっそりと佇んでいます。獏さんのテープは、最後に、こんな詩で締めくくられています。