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うるま市の宮森小学校に整備不良のアメリカ軍の戦闘機が墜落し、18人が死亡した事故から55年が経ち30日、宮森小学校では慰霊祭が行われました。小学校の慰霊祭には児童や遺族らが出席し、校庭の仲良し地蔵に折り鶴や花を供え、手を合わせました。
参列した遺族は「子どもが”お父さんジュースを飲みたい”というものだから、待ってねと思って、ジュース買ってきて飲ませたら、ふたくち飲んで逝っちゃった。お父さんはひっくり返るくらいびっくりして」と事故当時の様子を語り、またある遺族は「お母さんだけでなく、周りの家族、兄弟、おじおばとか、人生がみんな狂ったんです。お薬をいっぱい飲まないと眠れないとか、小さいことが、普通に過ごしているんですが、それが無理しないと過ごせないような毎日に変わっていったんですよ」と話していました。
一方、29日は当時の児童たちを集めた同窓会が開かれました。事故を体験した当時の児童や教師からは戦後70年近く経っても基地が無くならない沖縄の状況に危機感を募らせる声があがりました。
当時5年生だった男性は「ベルトだけが残って全身黒こげにやけどした子が目の前から連れていかれた。そういう光景が小学生のとき、ショッキングだった。子どもが見てはいけないことだと思うんです。基地が無くならない限りこういう事故は後を絶たない」と語りました。
また、当時教師だった男性は「なぜ戦争が沖縄戦だけで終わりにならないのかというのは、戦争の道具が落ちたから。ジェット機は戦争の道具。戦争が済んで70年になるのに、まだあります、基地が。その基地を未来の子どもたちに”君たち何とかしなさい”と渡せるのか」と憤りながら話していました。