幼い子ども達を含む1482人が犠牲になった対馬丸撃沈事件。70年の節目を迎える今、対馬丸に向き合う子どもたちがいました。今月14日、南風原町文化センターに、町内の小学校から子どもたちが集まっていました。
兒子一郎教諭「学童疎開をしないといけなくなったのもこの太平洋戦争が始まったからなんですね」
これは、学童疎開の体験を町内の子ども達に受け継いでもらおうと南風原町が企画した平和学習。学童疎開がなぜ必要だったのか。沖縄戦が始まる10年以上も前の満州事変や日中戦争などの歴史を振り返り、戦争は突然やってくるものではないことを知りました。
疎開体験者大城和子さん「いくときはね、もう喜んであっちこっち喜んで旅行にいくみたいな気分(だった)。思い出したら涙が出る」
この日は、自分達と同じような年齢で疎開した体験者の話も聞きました。
儀間小凪美さん(小学6年生)「自分と重ね合わせたら本当に泣きそうになってきました」
新里玲くん(小学6年生)「こんな戦争がなんで起きたのかなと思いました」
8月、子ども達は、対馬丸がたどった航路で、九州へ向かい追体験することになっています。小雨の中、国道を歩く子ども達。安謝小学校の6年生です。
上里亮教諭「少しでも子ども達に当時を実体験してもらいたいなと思いまして」
去年に続き、2度目の試みは学校から、対馬丸記念館へと向かいました。
女子児童「小さいのにこんなに歩かされて可哀想だと思った」
およそ4キロの道のりを歩いて記念館到着した子ども達は、展示物や、関係者の話を聞く中で対馬丸の事件を学んでいました。去年、同じように歩いた安謝小学校の6年生はこの体験を演劇にしました。
平安山琉也くん「劇をする前はただ劇をすればいいと思っていたけど劇をしてこんなことがあったといっぱいわかった」
去年、演劇に挑戦した子どもたちが集まり、舞台への思いを語りました。
屋嘉部方来さん「10年後とかには、そういうのを伝える人がいなくなるからそういうのを今のうちに自分達が深いところまでわかって、次の世代に伝えていかないといけないなと思いながらやっていました」
演劇は、当時の子ど達だけでなく、子どもの周囲の人々の思いも追体験することができたといいます。
平良早美教諭「子どもを戦争で失うってこんなに苦しいんだよ。こんなに悲しいんだよということを(劇で)やるんだよと常に言いながら劇を一緒につくりあげてきた気がします」
月桃の花合唱・壁画の前「6月23日待たず月桃の花散りました。長い長い煙たなびく ふるさとの夏」
記念資料館の1階にある大きな対馬丸の壁画。これは去年、安謝小学校の子ども達が作ったものです。対馬丸の乗船者1788人が描かれています。そこには、船に乗ることを楽しみにしていた笑顔の子どもや未来を奪われ、涙を流す子どもなど、一人ひとりがいました。
70年前、780人の子どもの命が犠牲になった対馬丸の悲劇を幼い真っ直ぐな瞳は受け止め、末来へ記憶を継いでいます。780人の子どもが犠牲になった対馬丸今年8月22日、70年の節目を迎えます。