福島第一原発事故から3年。沖縄を訪れた福島の子どもたちを追いました。
3月26日、福島県郡山市から小学生たちがやってきました。子どもたちはQ沖縄でしたいことは?「海で泳ぎたい!」「海で泳ぎたい!」「海で泳ぎたい!」「サーターアンダギー食べたい!」と話していました。
子どもたちを出迎えたのは、同じ福島県出身の大橋さん。東日本大震災で、沖縄に移住してきた人たちの交流会「ふちゅくるん」のメンバーです。
ふちゅくるんの大橋文之さんは「沖縄で楽しいこと、文化芸能に触れて、楽しいことをして帰ってもらいたいと思います。頑張りますので、よろしく」と話します。
「暑い〜!暑い!」一番にやってきたのは、子どもたちが楽しみにしていた海。待ってました!とばかりに、大はしゃぎです。
実はみんなが海に来るのは、震災以来初めてです。
「海好き?」と尋ねると「好き」。「福島の海は何でいかなくなっちゃったの?」と聞くと「なんかね、放射線が高いから、いかない。」「原発っていうところが爆発すると毒が出るから、その毒をかぎすぎると、死んじゃう病気?とか。前の福島に戻してほしい」と話します。
子ども達は「保養」で沖縄を訪れました。
「保養」とは、原発事故で、日常的に高い放射線を浴び続けている子どもたちを、一定期間、放射線量の少ない地域で受け入れ、心と体を休ませることで、チェルノブイリ原発の事故をきっかけに世界各地で行われてきました。
ふちゅくるんでは、福島に暮らす子どもたちを保養させようと、手作りのTシャツやバッグを売って、受入資金を集めてきました。
大橋さんは「福島の子どもたちが放射能で心配している。表で遊ばせることのできない状態が結構あるみたいなのでほんの少しの間でもいいから、癒してあげたいというのがそもそもの願いかな」と話します。
一方で、福島から引率として参加した山崎さんは、いまの福島には子どもたちを堂々と保養に出せない、苦しい現実があると感じています。
山崎さんは「新聞もテレビもいますぐ体に影響がありませんということと、心配ないという講演会があちらこちらで行われています。心配していることを言うと、風評被害を助長してるようなもの」と話します。
この日子ども達は、普天間基地が見える高台にやってきました。
ふちゅくるんのメンバーが、青い空、青い海だけでない沖縄があることを知ってほしいと、学習会を開いたのです。
石川元平さんは子どもたちに尋ねます。「おいくつかな、いくつですか?」「8歳」「私沖縄戦の時、7歳でした。」
石川元平さんは「宜野湾の学校があり、役場があり、市場があり、沖縄一の松並木があったんです。想像してみてください。(もともとここは)基地じゃないんです」と説明しました。激しい地上戦の後に、土地を追われた沖縄の人たち。子どもたちには、津波や原発事故でいまも故郷に帰れない福島の人たちと重なってみえたようです。
子ども達は「原発事故があって、放射線が高かったり、家が壊れて、復旧してなかったりするから・・・だからみんな、沖縄の人たちの気持ちはね、よく分かる」と言います。
6日間の滞在中、福島から移り住んだ子どもたちとの出会いもありました。無邪気な笑顔をみせる子どもたちですが、震災から3年たつ今も、それぞれが寂しさを抱えています。
避難した女の子は「友達と離れたりするの嫌だなとか、おばあちゃんが福島にいるから会いたいなとか。ある。夜に」と話し、別の子に「クラスで引っ越した子いた?」と話しかけると「うん。いる。ちょっとさみしいんだけど、他の友達と仲良くしてそれ、忘れたい」と言います。
男の子たちは「あと1000年後に会おう」「なんでだよ、1000年後じゃ死んじゃうって」「じゃあ999年後」「それ無理だよ。じゃあ10年後。それじゃあ大人になるって」「じゃあ20年後、40年後・・・っておばあちゃん!じゃああと1年後。」「いいよそれなら。」と言います。
原発事故終息のめどが立たない中、福島で生活し続ける子どもたち。そして生まれ育った故郷を離れた子どもたち。この子たちの未来を守るのは、大人の役目だと大橋さんはいいます。
大橋さん「3年たったんですけど、事態はもっともっと深刻になってきて、そこで一番犠牲になるのが子どもたちだと思うんですよ。その子どもたちを守るためには保養。お母さんたちにもいいし、すごく大事なことだと思うんですよね。」