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県民の強い反発のなか、オスプレイが沖縄に配備されてからきょうで1年。日米が合意したルールさえ守られない訓練が日常化していますが、中でも、アメリカ軍が環境レビューの中で「最大の変化に直面する」と明記した伊江島では、この1年、想像以上の激しい訓練がおこなわれてきました。この伊江島ではいま、オスプレイを巡りさらなる変化が迫っています。

砂埃を巻き上げるアメリカ軍のブルドーザー。取材カメラを監視するガードマン。物々しい監視体制の中、大規模な工事が進む、ここは、伊江島のアメリカ軍補助飛行場です。ブルドーザーによって大きくえぐられた大地。住民たちが育ててきた牧草も、刈り取られています。完成したのは新しい4つのヘリパッド。さらに2つの工事が進んでいます。

伊江村島袋村長「驚愕したという感じです。それ以前に防衛局、米軍から伊江村には事前の通報はありませんでした。」

しかし島の人たちは・・・

畑の男性「ならべく演習なんか。基地撤去したほうがいいんだが・・・いくら言っても聞かないんだ。」

取材を断る男性「普段、生活に影響出ていますか?(無言でうなづく)どんなことがありますか?(車に乗り込む)」

口を閉ざす人、諦めの言葉を語る人。オスプレイ配備から1年、伊江島の人々からは、いまオスプレイをめぐる複雑な思いが伝わってきます。

大矢「事前の通告が一切ないまま昨日突如始まった伊江島での飛行訓練は一夜明けたきょうも続けられています。ものすごい重低音を響かせながら、タッチアンドゴーと思われる訓練を繰り返しています。」

アメリカ軍が以前から「最大の変化に直面する」と明言していた伊江島。配備直後から、年間およそ7000回と想定される訓練が始まりました。

農家の女性「言葉言い切れないほど怖いです。」

儀間五子さん「怒りと不安とでいま混乱した状況です。」

ことし2月には配備撤回を求める住民集会を開催。しかし同じ頃、オスプレイは巨大なコンクリートブロックの吊り下げ訓練を開始。この1年、オスプレイは島の空をわが物顔で飛び続け、激しい訓練を続けてきました。

安里さん「低空飛行で非常に騒音が激しくて、場合によっては集落上空を飛ぶ場合もありまして。」

女性「今日のような風だったらこっちに埃がいっぱい来てよ、洗濯物も埃だらけでおうち閉めるのにも、慌てたりするくらいですよ。」

さらに、目に見えない不安も広がっています。琉球大学の渡嘉敷准教授は、この日、建物や人体に影響を及ぼす「低周波」を調べていました。

渡嘉敷先生「20ヘルツで、82ですね。」

測定された「超低周波」。不安やイライラ、動悸など健康に影響を及ぼすとする環境省の基準値を越えていました。

渡嘉敷先生自分たちの身の回りにあまりない音。家電製品でも出ませんし、それを受けることで、ストレスになる。人間もそうですけど、動物もそうだと思いますので。」

毎年、北海道から乳牛を仕入れている小橋川さんです。ことし6月、この牛舎で不可解な出来事がありました。

ずいぶん小さいですね。

小橋川さん「だから、未熟児。人で言えば未熟児で生まれているわけ。24日も早く生まれてる。」

ことし6月28日、3頭の牛が同時に早産したのです。生き残った子牛は1頭だけでした。

小橋川さん「ヘリコプターの演習になると、ここの上を我が物顔で飛んでいますからね。自由自在に。その時は流産とかそういうのがなかったんですよ、それでオスプレイが来たときだけに、こういうのが起きてしまって。」

沖縄防衛局が測定した「騒音データ」を見てみると、早産があった6月の最大値は「騒々しい工場」の中のような状態。低周波は測定すらされていません。

そんな状況の中、きょうも進められるヘリパッド工事。先月初め、海兵隊はホームページでこんな記事を発表しました。

海兵隊公式ウェブサイト(オスプレイは今後、伊江島でさらに多くの訓練ができるようになる。この工事は、計画的なプロジェクトだ。)

しかし、さらに驚く記述が。今後、伊江島では『師団』レベルの訓練、つまり最大4機同時の訓練の可能性があるというのです。次から次へと起きる、伊江島の人々を苦しめ、困惑させる事実。

もともとは反戦地主だったんですか?

畑の男性「この辺はほとんどですよ。この部落は。」

どうして最近は?

畑の男性「もうどうしようも出来ないでしょう。やっても出来ないという意味。どんなに頑張っても出来なかったんだから。」

どんなに反対しても、激しさを増す訓練。いま、伊江島は去年とはまるで違う無力感に覆われています。

激化する訓練、新たな施設の建設。基地をめぐる過酷な現実が、かつて『戦う島』と呼ばれた伊江島の人たちを追いつめ続けています。

伊江島といえば、アメリカ軍に接収された土地を取り変えそうと、農民たちが立ち上がった、土地闘争の島というイメージが強くあります。しかし、半世紀以上も続く、基地のある暮らしの中で、異常な生活が日常となり、声を上げても政府には届かず、我慢をすることが当たり前になっていった。

伊江島の人たちの「どれだけ反対と言っても、変えられなかったのに」という悲痛な声が、いつか沖縄県民全体の声になる可能性だって十分にあるからこそ、配備から1年目のきょうという日を、改めて、沖縄が置かれた異常な基地環境を考え直し、オスプレイをめぐる問題を原点に立って考える日にしたい。