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宮城葉子さん「小さい子ども達にわらべ歌をたくさん伝えていって沖縄の心、魂を伝えたい。」

宮城葉子さん。毎週土曜日、うるま市でてぃだぬふぁーわらべ歌会を開いています。まだ、言葉を話し始めたばかりの1歳児から小学生、そしてお父さんお母さんも一緒にしまくとぅばを習います。

ちんなんもーの歌「あがりぬふしからうやうやとぅめーてぃ(東の後から親を探して)くーよちんなんもー(おいでかたつむり)ちんなんもーやみ―ねん(かたつむりは目ない)ちんなんもーやみーあいん(かたつむりは目ある)」

わらべ歌を通してしまくとぅばを教えて30年。なぜわらべ歌なのか。それは、葉子さんが学生時代、幼稚園教諭になるため本土の大学へ行った時の苦い経験にありました。

宮城葉子さん「岐阜の合唱団に入ったときに地元の子守唄とか民謡とか唄っていたんです。私はうちなーんちゅなのにうちなーの歌がわからない沖縄のこと何にも知らないなとそこで気が付いたんです。」

「しまくとぅば」を話してはならない。そんな時代に育った葉子さん。使わないのが当たり前だった葉子さんにとって、本土でわらべ歌が普通に歌われていることがとても衝撃的だったといいます。そして、39歳で県立芸大に入学古典音楽の師範をとりこの教室を開きました。

宮城葉子さん「てーちたーちみーちは私たちのことばこの言葉を取り戻すっていうことが自分たちの沖縄を取り戻す。」

南風原町から教室に通っている波照間姉妹、今では様々なところでしまくとぅばを披露しています。

波照間姉妹「わんや津嘉山小学校ぬ4年生ないびーる波照間とうなとーいびん。わんや津嘉山小学校ぬ1年生の波照間心なというびーんゆたしくうにげーさびら」

波照間永遠さん「おじいちゃんおばあちゃんが(しまくぅばを)使っていたから自分も使えるようになりたいからみんなで歌を唄うのがたのしい。」

子ども「お友達に誘われてやろうと思いました。難しいけど楽しい」

お母さん達「おばあちゃんたちの世代が終わったら誰が後を継いでやるんだろうと。本人たちも沖縄の言葉を継いでいきたいなとなってくれたらいいなと。」「子どもがお腹にいるときから童歌のCDを聞かせていた。しゃべり始めたときには唄が歌えるように。」

「しまくとぅば」は一つの言語。保育園や小学校、小さいうちから教えたい。宮城さんは言います。

宮城葉子さん「小さい子どもに言語は言葉を教えるっていうのはゼロから始まって3.4歳までに出来上がってきますこの小さい子ども達から始めていくのがベストだと思っています。」

「しまくとぅば」は子ども達にとって、いえ私たち大人にとっても外国語のようになってしまっている今、てぃだぬふぁーは沖縄の文化そして心を伝える大切な場所になっています。

宮城葉子さん「『うまりじまぬくとぅばわしねーくにんわしゆん』自分の言葉を忘れてしまったら沖縄のこと忘れちゃうよどこの国へ行っても私たちはうちなーんちゅだよ。」