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沖縄戦前夜の1944年、アメリカ軍の攻撃をうけ沈没した学童疎開船・対馬丸の犠牲者を追悼する慰霊祭が、22日、那覇市若狭の小桜の塔で営まれました。
1944年8月22日、長崎へ疎開する子どもたちを乗せた対馬丸はアメリカ軍潜水艦の攻撃を受け沈没、子どもたちを始め多くの犠牲者を出しました。
痛ましいその日から69年となる22日の慰霊祭には、遺族らおよそ400人が参列し長い歳月がたっても変わらぬ深い悲しみを胸に、犠牲者の冥福を祈りました。
当時、教員として対馬丸に乗った糸数裕子さん(89)は「(子供たちには)悪かったとは思うけれども、これはどうにも仕方がない。陸地とは違う。助けてと言っても行くこともできないし、(69年は)長いようで短いようでね、戦争のことを抜きにして沖縄は考えられない」と当時を振り返りました。
慰霊祭では平和への思いを込め子供たちが鎮魂の歌を捧げたほかオオゴマダラを空に放ち、犠牲者の冥福を祈りました。