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まもなく慰霊の日を迎えます。ことしも学校や地域で沖縄戦の体験を語り継ぐ活動が行われています。その中で、那覇市の中学校では「もうひとつ」の沖縄戦とも呼ばれる、八重山諸島の戦争マラリアの劇に挑戦しています。

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山下軍曹役(宮里征吾先生)「山下寅雄であります。県から青年学校の教官として、県知事任命で来ました。」

舞台は沖縄県の最南端にある波照間島。中学生たちは、68年前、マラリア蚊が生息する西表島への疎開命令が出て、多くの人が亡くなった戦争マラリアをテーマに、劇に挑戦しています。

生徒「マラリアのないこの波照間に残ったほうがいいです。」

山下軍曹役(宮里征吾先生)「貴様ら軍の命令が聞けないというのか!軍命令が聞けん奴は前に出てこい!」

疎開を指揮したのが、山下先生。本当は旧日本軍の軍人でした。68年前、波照間島で実際に起きた「戦争マラリア」。アメリカ軍の上陸も、地上戦もなかった島で、住民は、マラリアにり患し、高熱と栄養失調で島民の3分の1が死亡しました。

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山下軍曹役を演じるのは、教師2年目の宮里先生です。

宮里征吾先生「やっぱり自分の経験として語れない弱みがあるんですけど、子どもたちは小学校のころから慰霊の日にちなんで平和教育を受けてきている、ということで中学生になってくるとありきたりになってきてしまっていて。」

沖縄戦の体験から、子どもたちに何を学ばせるのか。若い世代の教師たちが直面する平和教育の課題です。本島では、馴染みの薄い戦争マラリアに、子どもたちも難しさを感じています。

小磯澄音さん「戦争って聞いて、殺されたとかの方が多いと思うんですけど、こういうマラリアとか、そういう戦争から来る新たな問題で亡くなった人たちも大勢いるんだなと。いまの時代にはないものなので、本当に想像していかないとダメだなと思います。」

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少年「功一」、このモデルが玉城功一さん、当時9歳でした。子どもたちには、戦争マラリアの本質をきちんと見てほしいと思っています。

玉城功一さん「八重山に風土病、マラリアがあったから、自然に戦争で、広がっていったという、単なるそういうことではなくて、この疎開命令を伝えたのは山下寅雄という、陸軍中野学校出身の特務兵。」

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スパイ活動やゲリラ戦が専門の軍人、陸軍中野学校の出身者は、沖縄戦当時、県内全域に42人いたことがわかっています。身分を隠して、住民たちの監視をし、情報収集することなどが任務でした。

そのひとり山下寅雄は、自ら「波照間の牛や馬の肉を、石垣島の軍隊へ送っていた」という証言を残しています。

玉城功一さん「だからこういう辺鄙な島の、小さな住民がどうなってもいいかと、そういう考え方じゃないか。と私たちはそう見るんですがね。」

軍隊は住民を守らない。戦争マラリアの歴史は、戦争の教訓をいまに伝えているといいます。

玉城功一さん「いままた最近これが見えてきている。軍事基地をいつまでも沖縄に置こうとか、自衛隊を与那国に、石垣にも配置することを考えているかもしれない。戦争マラリア、沖縄戦もそうですけど、過去にあった出来事だけでは済まされない。」

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悲しい昔話にしてはいけない、沖縄戦。本番に向けて、それぞれの思いが生まれていました。

宮里征吾先生「間違った教育であれば、恐ろしいことになってしまうので、私も一教師として、平和に対する意識を持った子どもたちを育てていきたいと思います。」

慶田盛さん「自分の祖父がマラリアにかかった、かかったけど、いま生きて、自分がいるので、マラリアにかかって生きた人、戦争で生きてきた人がいるから自分が、みんながいるので、そういうところを伝えていけたらと思います。」