沖縄の未来について話し合い、社会問題を考えようと結成された高校生の集まり、「メイキングフューチャー」の会合が先日開かれました。今回のテーマは、慰霊の日に向けた平和学習について、戦争体験者の話を聞きその継承方法を考えました。
メイキングフューチャー。高校生たちが自主的に集まり、様々な社会問題をディスカッションを通して考えを深めようと結成された団体です。
今回のテーマは、戦争と平和をどう伝えるか?開邦高校や浦添・沖尚,向陽から9人が参加しました。
漢那さん「みんなに沖縄戦のことを話してくれる並里千枝子さんです。」
並里さんはこれまで戦争体験を語ることを拒んでいました。しかし、真剣に戦争について考えようとしている若い人たちに伝えておかなければならないという気持ちになったといいます。
並里さん「事実をしっかり話していきたいと思います。今まで私は、話したくなかったですね。70歳まで誰にも話さないできました。」
並里さんは、9歳のころ伊江島で戦争を体験。生後6か月だった弟が地下壕で泣き止まず
日本兵が島出身の少年兵に言った言葉が今も忘れられません。
並里さん「(日本兵が)貴様打てといったんです。この人は、顔見知りでもあるのにうてないです。ぶるぶる震えて体全体震えてできないんですよね。」
泣き止まない弟を母親は、出ないお乳に鼻と口を押し付けその胸で弟は、息を引き取とりました。母の横にいた千枝子さんは、抵抗した弟に太ももを蹴られた感覚が今も頭から離れずこれまで打ち明けることが出来なかったと話しました。
並里さん「お母さんは、抱いたまま動かないずっと動かない。お母さんに声かけることも出来なくて。自分が大きくなり次第そのことがよみがえってくるんですよ。」
つらい記憶にふたをして生きてきたという並里さん。高校生たちに、この日は体験を包み隠さず語りました。
屋宜さん「たくさんの人が傷ついていると思うと、勉強してもっとたくさん話を聞かないといけないなという気持ちになりました。」
戦争体験者が高齢化する中、高校生たちは、並里さんの経験をどう受け止め、平和をどう伝えていくか、継承方法について議論を展開しました。
去年東京から沖縄に移り住んだという手塚さん。東京では習ってこなかったという沖縄戦のことを知り沖縄の平和教育の素晴らしさを感じた一方で、こんな印象も。
手塚さん「小中学校とか中学校とか教わりすぎたからもういいっていう言葉が出てて、すごく悲しいことで本当はそこで学ばなければいけないのに、小中でいやだいやだという思いが強いからこそ高校になって触れたくないっていう人が出てくるわけさ。」
参加者「ビデオを自分の友達も見たくないという友達もいるんだけどこれに関しては逃げちゃいけないことだと思う。」
参加者「それを体験した人たちがいるんだから、自分たちは知らないといけないと思う。」
また、興味をもってもらうための方法も考えました。
漢那さん「知識とか沖縄戦とかを知るためにスタンプラリーみたいな高校生クイズみたいな。平和記念公園とか行って自分たちで問題を探せるようにしてから、そしたら、小学生とか絶対さがすさ。」
参加者「高校生中学生小学生幼稚園とかそういう縦のつながりでグループを作ったら。」
参加者「年上がいたら頼れるし、年下がいたら自分がやらないといけないなーって思えるからいいんじゃない?クイズ。」
そのほかにも遺骨収集をしている団体を訪ねたり、演劇で伝えるなど議論は5時間にもおよびました。
手塚さん「どうやって伝えるの?って本気すぎると伝わらない。おもしろすぎると伝えるべきことじゃないと思うわけさ。だからすごく難しい。」
屋宜さん「戦争中にあったことだけを伝えても戦争が起こる原因とかも、戦争が終わった後の苦しみとかもあるから戦争中のことだけを再現しても原因が分からなかったり、戦争中だけが苦しかったのかなーっていうイメージもつくから。」
戦後68年、戦争を知らない世代が増える中、高校生たちは、同じ世代の人たちと平和について考える平和観光ツアーを開くという企画を進めることになりました。
並里さん「私の方がですね。きょうは、救われました。長年の胸の中の押し込んできたものを。私の心も扉が大きく開けたと思って感謝しています。ありがとうございました。」
漢那さん「戦争は、したくないと思うし、するべきではない。それ以上に自分たちが平和の大切さとかどんどん後輩とか今から生まれてくる人たちに伝えていきたいなーって思いました。」