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安倍総理「61年前の本日は日本が自分たちの力によって再び歩み始めた日であります。未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います。」

サンフランシスコ講和条約が発効し、アメリカ軍の占領から日本が独立した日として政府が初めて開いた「主権回復の日の式典」。しかしこれと同じ時刻沖縄では。

喜納議長「到底今日の日が日本が主権国家として言えるはずがありません。『がってぃんならん』という叫びは当然ではありませんか皆さん。」

その条約締結を機に、日本から切り離され、アメリカの施政権下に置かれた沖縄では、「屈辱の日」沖縄大会が開かれ、およそ1万人が抗議の声をあげました。そこに集まった人々の思いとは。

伊志嶺会長「地位協定は県民を守るものではなく、米兵を守っているのです。おかしいです。これで主権国家と言えるのでしょうか。」

それぞれの思いを訴える登壇者たち。座間味村から参加した中村秀克さんは父親が集団自決の生存者であることを告白し、戦後は沖縄が本土のように豊かになるようにと願いを込め、名字を変えたことを話しました。しかしその思いは裏切られたと言います。

中村座間味村議会議長「『豊かな大和世になる』と当時のおじいさんたちは『仲村渠』は「中村』にしようと、で日本に戻ろうと、大和名のにんべんのない中村に変えたわけですね。ところが4・28で沖縄を始め奄美小笠原は分断されて20年間沖縄は植民地状態でした。」

安倍総理は式辞の中で沖縄県民への配慮を伺わせる文言を盛り込みました。

安倍総理「とりわけ明記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く、日本から離れたままだった事実であります。沖縄の人々が耐え、偲ばざるを得なかった戦中戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。沖縄が経てきた辛苦に思いを寄せる努力をなすべきだと訴えようと。」

宮崎衆議院議員「私は素直に喜んで前を向いて豊かになって、日本の繁栄を導くんだって、こんな思いを共通して持てるようになりたいと思っていました。ちょっとすみません、そういう思いです。」

国場衆議院議員「今日の式典がただのイベントではなくて、しっかり形として、様々な沖縄の問題を解決する第一歩でなければならないと、そのような感想を持ちました。」

高良副知事「お祝ではなくて、厳粛な空気の中で、沖縄問題に言及できた。総理の話聞いて、認識深めてもらえたと感じた。式辞の言葉を聞く範囲では、納得した、理解できた感じです。」

大会参加者「地位協定さえ改定できないのに、こういう主権をお祝しようなんて反対しています。」

大会参加者「自分なんかだけ良い気分になってさ、(沖縄が)犠牲になっている上にぬくぬくといるわけでしょ。」

大会参加者「沖縄をこんな扱いしておいて許せんという気持ちでね。」

深まる政府と沖縄県民との溝。複雑な県民感情に一定の配慮を見せた安倍総理ですが一方で、沖縄県民にとってさらなる負担と言える辺野古への基地建設を着々と進めています。

沖縄戦当時白梅学徒の1人として傷病兵の看護にあたった中山キクさんはこう訴えました。

中山キクさん「政府の主権回復式典はまさに平成の沖縄切り捨てではありませんか。基地負担削減と地位協定の改定を実現して、穏やかな日常を回復することこそが主権回復です。」