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東日本大震災から2年。きょうはプロゴルファーをめざし、福島県立富岡高校に進学した比嘉怜羅さんについてです。

1月のダイキンオーキッドアマチュア選手権を勝ち抜き、初めてのプロの舞台に立った怜羅さん今の思いを聞きました。

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今月1日、福島県立富岡高校の卒業式に出席した比嘉怜羅さん。卒業式の会場は富岡町から遠く離れた福島市のホールです。

富岡高校と福島第一原発との距離はおよそ10キロ。警戒区域に指定されている学校には立ち入ることさえできません。

比嘉怜羅さん「(震災について)二度と経験したくないもの。本当につらかったので」

2年前の震災直後。怜羅さんの姿は那覇市の自宅にありました。

母・裕子さん「あまり表にも出られないですし、知り合いと会うと地震のことを聞かれちゃうから、私の背後から歩くような感じで」

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そんな彼女を救ったのは母校:富岡高校のユニフォーム。富岡町への一時帰宅が許可された際、母・裕子さんが学校の寮から持ち帰ってくれたものです。

怜羅さん「1番取って来てほしかったもの。(練習への気持ちが)違います、雰囲気とか。1年間使ってきたものなので。(富岡)ゴルフ部は前に進んでいるし、早く加わりたいと」

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怜羅さんは福島に戻ることを考えていました。

母・裕子さん「何度もこの話しはするんですけど、お母さんが死んだと思うんだったら行きなさいと、それ位心配して祈っていたあの苦しみ、わからないのって」

反対する母の言葉も、思いを変えることはできませんでした。

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現在、富岡高校は他の高校の校舎を間借りして授業が継続されています。

震災後、たった1人となっていた富岡ゴルフ部は怜羅さんらが戻って4人に、翌年には団体戦で全国大会にも出場しました。

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怜羅さん「(福島は)初めて仲間ができたところ。成長させてくれたところなのかなって思います」

ダイキン1日目・怜羅さん「“感謝”の気持ちっていうか、そういう気持ちを持ちながら。福島で応援してくれる人もいるし、頑張ろうって思いで深呼吸して」

彼女が抱く感謝の思い。福島で指導にあたった栗西鈴香プロはこう語ります。

栗西プロ「それが震災で一番彼女がわかったことだったみたいです。ゴルフができることは普通のことではないんだって」

怜羅さん「震災でゴルフができなかった時期も長くて、ご飯を食べたりすることも当たり前じゃない。我慢強くなったっていうか、震災があってゴルフの仕方が変わりました」

大会は終始苦しい展開。プロ仕様に整備された難コースに、パットも思うように入りません。

怜羅さん「本当に何もかもうまくいかなくて」

折れそうになる心…。それでもゴルフができる環境に感謝し、必死で笑顔のプレーをつづけます。そして最終ホール。最後のパットは入らず、我慢していた涙を止めることができませんでした。

怜羅さん「本当に情けないというか・・・。すごい悔しいです」

それでも、見守る母の眼には成長した娘の姿が映っていました。

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母・裕子さん「本人が最後までやり遂げたことは、本当にわが子ながら感謝してました。この震災で人の優しさとか、ありがたみが重々わかったと思うので、優しい人間に育ってほしいです」

怜羅さん「もっともっと強い選手になりたいです」

人との絆、プロの舞台で得た悔しさ。様々な思いがめぐったこの2年怜羅さんの挑戦は続きます。

福島で過ごした高校生活、震災直後のつらい時期を経て、家族や福島の仲間とゴルフを続けること、そして生きることについて考え抜いた2年間だったんでしょう。

怜羅さんはこれから、神奈川のゴルフ場で研修生として練習を続け、来月にはプロテストの2次予選に挑戦するということです。