北海道の先住民族・アイヌの中でも「サハリン・アイヌ」という人たちをご存じでしょうか。ここ、現在のロシア領、当時の樺太島に暮らしていた「サハリン・アイヌ」たちは、いまから240年ほど前、明治政府がロシアと結んだ領土の交換条約により、生まれ島を追われ、さらに、日本国民への同化政策や、独自の文化の否定といった社会的差別の中で、消滅していきました。
そんなサハリン・アイヌたちが奏でていた伝統楽器「トンコリ」の演奏者が、先日那覇市を訪れ、大城美佐子さんとコラボレーションライブを開きました。
沖縄を代表する三線演奏者、大城美佐子さん。同じステージに立つのは、北海道出身のミュージシャン・OKIさん。旭川アイヌの血を引くひとりです。
5本の弦が織りなす、しなやかで力強い音色。サハリン・アイヌの伝統楽器「トンコリ」です。トンコリの生まれ故郷・樺太島は、現在のロシア領。かつて豊かなアイヌ文化が息づいていたと言います。
OKIさん「1860年、日本人の探検家・松浦武四郎の話によると『そこでおれはオノランクという老人に会った』と」
OKIさん「(オノランクは)『漁場が開かれて、アイヌがそこで(本土出身の和人に)使われている』と。朝から晩まで。『そんなことをしているうちにだんだん、自分たちの一家に一台あったトンコリも、ひくものがいなくなって、いまこの樺太島でもちゃんと弾けるのは俺だけである』と」
OKIさん「歌いながら弾いているその様子は本当に良かったと書いてあります。」
日本の最南端と最北端に生きるふたりを、引き合わせたものは何だったのでしょうか。
OKIさん「運命的な出会いだよね」
大城美佐子さん「興味はずっとあったのね。あれ、沖縄と似ているなとずっと思っていたもんだから」
三線と同様、トンコリはかつてサハリン・アイヌたちの生活の一部。神行事から娯楽の場まで時代を越えて受け継がれてきました。
しかし・・・
OKIさん「途絶えました、実をいうと。伝承者の方が高齢になって、次に伝わらなくなったときに、トンコリをもう一回作ってみようという動きが北海度で出たんですね」
本気でトンコリにのめり込む。突き動かしたのは、アイヌの歴史にまつわる悔しさや怒りだといいます。
OKIさん「自分たちの民族のものだから、言葉もそうなんだけど、やっぱり悔しいじゃないですか。全部取られたから、北海道。」
OKIさん「やっぱり支配する人は言葉をひとつにして、ひとつの法律で、ひとつの食べ物で、ひとつのお店で買ってもらったほうが楽なんですよ。そういうこと今までずっとやり続けてきたよね。それも何百年もかけてそういう間違いをずっと続けていて」
OKIさん「アイヌは、アイヌの言葉忘れて、日本人になれ、と。その代わり、おれら言語学者が君たちの言葉を保存してあげるから心配するな」って」
OKIさん「そういう搾取の歴史におれたちはあるから、それで僕がトンコリをやっているのは悔しいからやっているというのもあって、反抗のためにやっているというのもありますよね」
オリジナル曲「サハリンロック」は、OKIさんが樺太島を訪ね歩いて制作した曲。「アイヌはまだ消えていない」「ここに生きている」という叫びが伝わってくるようです。
OKIさん「だから沖縄と北海道は似ているなんて言うけど、そういう歴史のひどさが似ていると、すごく思う」
大城美佐子さん「(沖縄は)いつも戦があって、ぺしゃんこにされて、それでもやっぱり、音楽があって、民謡があったから生きてこれた」
大城美佐子さん「沖縄の言葉どんどん使ってください」
搾取の歴史と、言葉と、音楽。アイヌと琉球が歩んできた歳月の中から多くの歌が生まれました。
OKIさん「言葉が全部アイヌ的な感覚を呼び覚ます一番大事なキーになっていて、そういうので見ると沖縄もだんだん若い人が喋れなくなっているでしょ。でもね、10年後に沖縄で必ず若い子たちが先を争って、自分たちの言葉を話そうというのが、おっきなうねりになって、ムーブメントになると、僕予言しておきます。必ずなります」