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復帰40年リポート、アメリカ取材の二日目です。

アメリカで、ウチナーンチュのコミュニティーを作り支えあい、力強く生きる沖縄女性達の姿をきのう紹介しました。きょうはアラバマ州で暮らす女性達が登場します。

12年前に亡くなった兵士の妻に、今年知らされたある事実がありました。

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よし子ペイトさん「これ。ジェイムスハワードは朝鮮戦争とベトナム戦争に参戦したという」

よし子ペイトさん81歳。夫の名前が刻まれた石碑に案内してくれました。

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12年前に亡くなった夫ジェイムスさんは、海兵隊に所属。朝鮮戦争とベトナム戦争に従軍しました。今でもよし子さんは、夫が勲章をもらった写真を大切に財布に忍ばせています。

アメリカ・アラバマ州タスカルーサ。人口約9万人。アメリカン・フットボールで人気の高いアラバマ州立大学がある町としても知られ、古いアメリカの文化とたたずまいを残しています。

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この町出身者の退役軍人の栄誉を讃える公園「ベテランズメモリアルパーク」ここには、第二次世界大戦や硫黄島、朝鮮、ベトナム、湾岸戦争までアメリカの戦争の記憶がありました。

実は、今年の3月、夫ジェイムスさんについてアメリカ政府がある通知をよこしていました。 

夫ジェイムスさんは、3度従軍したベトナム戦争で、枯葉剤を吸い込み、その後の体調に異常をきたしたと、政府が死後12年経った今年、認定したというのです。

枯葉剤のことについてそれ以上語ることはなかったよし子さん。アメリカが使用した枯葉剤によって、被害にあったアメリカ兵の妻の姿がそこにあるような気がしました。

この日、よし子さんの家に集まったのは60代~80代までの女性達。そこには、よし子さんの長男で20歳まで沖縄で暮らしていたというデニーさんも顔を出してくれました。

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デニーさん「(Q.うちなーぐちももうばっちりわかる?)ウチナーグチもわかるよ」

よし子さん「私は全部ウチナー口。子供たちに。」

デニーさん「僕の妹は聞けるけどしゃべれない。ウチナー口も。日本語はわかるけど、ウチナー口はできない」

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子供たちが方言を忘れないようにと、家ではウチナー口を使っていたというよし子さん。裏庭には、故郷沖縄の野菜などもたくさん栽培されていました。

貴子ワルドロップさん「このアラバマはとっても静かで、本当のアメリカを知りたかったらこっちがいいわけね」

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こう話すのは、貴子ワルドロップさん73歳。結婚した夫のシャノンさんと48年前にアメリカに渡りました。

シャノンさん「彼女は困難な生活だったはずだよ。とても難しかったと思う。なぜなら、日本食もないし、日本のテレビもやっていなかったから」

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貴子さん「昔はこっち来たときにね何にもなくてね。人種差別があった。黒人と白人の。」

アメリカの田舎町で最初、日本人は貴子さんだけ。偏見の目にさらされたこともあったと言います。一方で、その時代、沖縄は、復帰で揺れていました。

貴子さん「復帰したほうが良いという人と、良くないという人とか、復帰したら絶対幸せになれるとかそういうことは良く耳にしたね」

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当時、沖縄とアメリカを行き来しながら、貴子さんは、故郷の未来を案じていました。

貴子さん「沖縄が復帰して本当に沖縄の国が幸せになれるかねって、本当に差別なく平等に日本の方たちと同じように日本人と同じように平等におつきあいして平等にしてくれるんだったら良いよね。そんなふうになってくれるか、なってくれないか、不安でわからないですよね。あの当時は」