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東村高江区で進んでいるヘリパッドの建設。国は、北部訓練場の半分を返す代わりに6カ所のヘリパッドを作ると説明してきましたが、目的はそれだけではないようです。オスプレイの配備や集落を囲む配置から、その正体が見えてきました。

東村高江区のヘリパッドの建設工事。国は座りこみの反対運動が手薄になる早朝などを狙って、建設を急いでいる。

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そもそも、今現在も高江区の上空ではヘリが軍事訓練を繰り返し、危険な超低空飛行も行われていて深刻な事故も多い。

その空の下は、アメリカ軍がゲリラ戦やサバイバル訓練をするジャングル戦闘訓練場。その隣に位置する高江区では兵士が突然、民家の裏に現れることも珍しくない。

宮城さん「そうそう、そこから出てきたんですよ(指さす)」伊佐さん「フェンスも何もないから、ポンと出てくるわけです」

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人口160人の高江集落はすでに演習場に囲まれている。そこをなぜ、さらに6つのヘリパッドで囲み「オスプレイ」まで配備されるのか。住民は憤りを感じている。

伊佐さん「全部が訓練場だと彼らは思ってるんじゃないか。これはもう標的なんですよね、彼らからすればね。だからやっぱり住宅に近いほうがいいんですね」

安次嶺さん「ベトナム村と一緒ですよ。ベトナムと想定をされていたわけでしょ。あの訓練と同じで、自分たちが住んでる所を敵国の住宅に見立てて訓練をやるっていうことですよ」

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ベトナム村。それはベトナム戦争当時、北部訓練場にあった襲撃訓練に使った村。これは1962年にアメリカ軍が撮影したゲリラ訓練の様子。農村に潜むベトナム兵を見つけ出す想定で地上と上空から一つの村を襲う演習だ。

当時、高江は船しか交通手段がなかったため、何が行われていたのか、沖縄でも知る人は少ない。この訓練に参加していた元海兵隊員のジョン・ヒースコートさんはこう証言している。

ヒースコートさん「対ゲリラ訓練。私も参加した。1963年8月だと思う。ベトナムの村のような、フーチという小屋などが訓練場の隅に設置されていた。ヘリコプターがこう来て、海兵隊員が降りてシューティングしながら走ってベトナム村に近づいていく。ベトコン役は村に潜んでいる。そこをヘリで攻撃して、アメリカ兵を救い出す、それでゲーム終了」

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この映像ではベトナム人役をアメリカ兵が務めているが、当時、高江区民がその役させられていたという衝撃的な事実があった。

高台から見物しているのは当時の沖縄統治の最高責任者ワトソン高等弁務官。そしてベトナム風の民家の周りには女性や子どもの姿も見える。

50年前の記憶を高江で辿ってみた。

浦崎さん「ひょっとしたら、私、写ってるかもしらんよ。だから、ベトコン役っていうのは、いわゆる同じ米軍の中の。我々はあくまでも、そこでヤギとかなんとかを連れてって、ただごく普通にそこで遊ぶだけ。で、報酬としては、僕ら子どもですから、なんやったかなぁ、缶詰とかもらったような」

ベトナム村は40年前になくなった。でも訓練には標的が不可欠。今その標的は高江の集落そのものなのでは、と考える住民もいる

宮城さん「前から思うんですけど、なんで髙江を囲むかと言うと、人がいる所を想定した訓練をやってると思う。CH46ですか、全部窓をオープンにして、僕らが座ってる所を見ながら旋回してますからね。わざと低空でババババと。そう、目標物と思うな」

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ヒースコートさんはもうひとつ、重大な証言をした。ベトナム村の周辺に「枯れ葉剤」を散布し、自身もその後遺症に苦しんでいるという。

ヒースコートさん「この地域は草がはえていない。ここは我々が枯れ葉剤を散布したところ。私は枯れた植物を触っていない。沖縄の人たちがその後の処理をする。枯れ葉の処理をした沖縄の人々はもっと枯れ葉剤に晒されている。私でさえ5回の手術に心臓発作、心臓のバイパス手術。彼らはもっとひどい目に遭ってるかも」

沖縄での枯れ葉剤被害については、元軍人の救済も進んでおらず、県民の被害も全くわかっていない。北部訓練場が過去にどう使われ、今後どう使われていくのか。県民の不安は増すばかりだ。

当時の北部訓練場は、米軍はヘリで行けたでしょうが、交通の便も悪く県民は近づけなかった。そんな山奥でこんなことがあった、これも今やっとわかってきたことです。

そんな経験を持つ高江をさらにヘリパッドで囲むというのは「返還に伴う移設だ」ですむ話ではない。この問題については9月2日(日)の深夜2時10分からテレメンタリーで詳しくお伝えします。