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68年前の8月22日、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没した学童疎開船「対馬丸」。2012年も犠牲者を追悼する慰霊祭が小桜の塔で執り行われました。

「多くの夢と希望を頂いていた幼い子どもたちが、国策の元に犠牲になったことを決して忘れることなきよう」

1944年8月22日、政府命令による疎開のため、本土をめざしていた学童疎開船「対馬丸」は鹿児島の悪石島沖でアメリカ軍の魚雷攻撃を受け、沈没し1418人が亡くなりました。

丸68年を迎えた22日、慰霊祭に参列した遺族や体験者らは、深い悲しみの中静かに犠牲者へ手を合わせていました。78歳の体験者の男性は「対馬丸沈む前に(船長が)学童に向かって『飛び込み用意』と言ったんだよ。あの時の波の揺れをね、僕たちはこんな海の中に飛び込んでいったんだな、そして子どもたちはうねりの中で沈んでいったんだなという思いがね。読経なんか聞くとそういう情景が浮かんできます、今でも」と話します。

また、当時学童らが通っていた那覇市内の小学校の子どもたちでつくる「対馬丸合唱団」が「大切なふるさと」など鎮魂の歌をささげました。式典の最後には、平和への想いを込めてオオゴマダラが放され、雨雲の空へはばたいていきました。