※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

国と県は共催で復帰40周年記念式典を開催しました。式典には、三権の長が出席し総理と知事が基地問題という課題への思いを述べました。

午後4時、宜野湾市で開会した「沖縄復帰40周年記念式典」。会場には野田総理や仲井真知事をはじめ、衆参両院議長や県内各団体の代表ら、1200人が出席。

そして、この人の姿も…。

敗戦後、日本と切り離された沖縄は27年間アメリカの統治下に置かれ、40年前の1972年5月15日、待望の祖国復帰を迎えました。

復帰前、基地から派生する事件や事故に脅かされる日々の中、沖縄の人々は、復帰さえすれば基地はなくなると信じていました。

しかし、現在も沖縄にあるアメリカ軍施設の面積は2万2900ヘクタールと、沖縄が本土復帰した1972年と比べて、5000ヘクタールしか減っておらず、未だに全国の基地の73.9%が集中。沖縄の負担軽減には程遠い状況です。

仲井真知事「普天間飛行場の県外への移設、そして、早期返還を県民は強く希望しております」

かつて、鳩山政権が「最低でも県外」と主張し、再び辺野古に舞い戻ってきた普天間基地の移設問題。沖縄が日米政府の間で翻弄される構図は40年を経た今も変わりません。

野田総理「基地負担の軽減を着実に進めていくことは、私の内閣の最重要課題のひとつです」「普天間の固定化は絶対にあってはなりません」

式辞の中で、先月の日米共同時発表で、普天間問題と海兵隊のグアム移転や嘉手納より南の土地返還問題を切り離したことにふれ「目に見える具体的な成果」につながるとした野田総理。

しかし、具体的な返還期限は明らかにされず、今後の基地負担の軽減は不透明なままです。

市民「いやちょっと複雑ですね。復帰したのは良かったんですけど、あまりにも本土の人が沖縄の実情を知らないもんですから。もう少し理解して、基地問題を一緒に真面目に考えてほしいと思う」「まぁ一応良かったとは思ったけど、まだ基地が沖縄にあることが残念です。ただそれだけです」「そのままいくと、恐らく固定化の流れがずっと強まっていくと思う。県民の力で跳ね返していくというのが必要だと思っています」

式典とレセプションはさきほど終了したようです。会場に復帰後生まれ、24歳の山城記者がいます。復帰の日のきょう1日、取材をしてどんな印象でしたか。

山城記者「先ほどまで、私の後ろの会場で復帰記念式典が行われ、その後のレセプションでは、空手などの伝統芸能も披露されるなど、式典は終始、祝賀ムードで終わりました。現在も会場では雨が降っていますが、40年前も同じように雨が降っていたといいます。しかし、その中でも、式典で野田総理も仲井真知事も普天間基地の移設問題に触れていて、40年経っても沖縄にとって基地問題は大きく、重い課題となっています。」

山城記者「僕は復帰の日を知らない世代ですが、基地を過重に負担している現実は強く感じます。式典に参加した人たちの中にも、基地が残り続けたままでは…と、素直に喜べないという人もいて、これからの将来像を描くために、そして次回の式典で素直に喜べるために、この40年から何を学べばいいんだろうかと考えさせられる1日となりました」