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あす4月228日は、沖縄と本土を分離することを明記したサンフランシスコ講和条約が発効し、以後「屈辱の日」と称されるようになった日です。

当時、祖国復帰を願った沖縄と奄美の人々が国境線に集い「沖縄を返せ」と声をあげた海上集会が、あす43年ぶりに再現されます。きょうは、復帰運動の原点ともいえるこの海上集会についてお伝えします。

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青山恵昭さん「それこそみんな感動の渦でね。おぉーっていう歓声。野球の試合でやりますよね、雄叫びっていうかね。見えたぞって言ってね」

かつて、海上集会に参加した思い出を語るのは、与論島出身の父親と国頭村出身の母親の間に生まれた青山恵昭さんです。

海上集会は、沖縄本島の最北端・国頭村の辺戸岬と鹿児島県の最南端・与論島を隔てた国境線で、1963年から69年にかけての毎年4月28日に開催。双方の住民らが堅い握手を交わし、国境の壁を振り払うかのように「沖縄を返せ」の大合唱が響いたといいます。

1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約。日本が主権を回復する一方、条約には、北緯29度線より南の沖縄や奄美などをアメリカが統治するとの条文が含まれていました。祖国から切り離されたこの日を、沖縄では「屈辱の日」と呼んだのです。

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青山さん「沖縄は我々の気持ちから言えば、やはり様々な無権利状態に置かれて。生活苦や色んな人権侵害もありますよね。子どもながらも、あの状況は不条理があるという認識がありました」

国頭村に暮らしていた青山さん。復帰前は与論の親戚の家でひと夏を過ごすこともありました。

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もともと同じ琉球文化圏として、交流の深かった両地域ですが、1953年、沖縄に先立って奄美諸島が日本に復帰したため、北緯27度線が新たな国境となり、与論島は遠い「外国」となってしまいました。

青山さんにとっては2度目の分断。2つの故郷の間で軋む思いを抱えながら、1972年の復帰を迎えます。

青山さん「基地はそのまま残ってると。本当の意味での無条件返還ではなかったですよね。これはちょっと残念だなと思いました。残念なこともいっぱいあるけど、それは置いておいてやっぱり嬉しかったですね。復帰というのは」

国頭村役場・前田浩也さん「当時を思い出しながら、復帰を願う、この姿を見ていただきたいと思います。そして恒久平和を願うと。そして、子どもたちに伝える。そういうところを見ていただきたいです」

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あす、国頭村と与論町は復帰40周年の節目に合わせ、43年ぶりに海上集会を再現。小中学生が参加しての平和行進や交流会などの記念イベントも予定されています。

国頭在住の男性「中学の頃はよく那覇の親戚とかが来て、自分たちの家に泊まった記憶もあります。これに参加するためにですね」何か懐かしい感じしますね。うん」

コザ出身の女性「これが第一歩ですから。こういった復帰運動があって、初めて今の沖縄があるわけですから。歴史の重みっていうか、素晴らしいと思いますね」

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今月、国頭村では、青山さんを招き、記念イベントに参加する村内の小中学生らに向けた学習会を開催しました。

青山さん「国頭村の辺戸岬というのは、やっぱり日本復帰運動の原点。先輩たちが命を賭して頑張ってきて、こうして今、我々がある」

復帰前「沖縄は日本でもアメリカでもなかった」と話す青山さん。本籍が与論だったことで、さらに辛い思いも。

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奄美の本土復帰以降、当時沖縄にいた6万人とも7万人ともいわれる青山さんら奄美出身者は「非琉球人」となり「在留許可証」の所持を義務づけられたほか、公職からの追放や選挙権の制限など、様々な差別を受けたのです。

日本人でもアメリカ人でもない。そして、琉球人でもなかった青山さんの半生。復帰には格別の思いがあります。

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青山さん「一番大事なのは、我々は日本人になったということ。日本の憲法に戻ってきたということ。そして、平和と自由ですね。民主主義というのはどんなに大事なものなのかということを噛みしめながらね、今度の行進も海上集会もぜひ成功させたいものだと思います」

男子児童「国境線になってることを知って、とてもびっくりしました」

女子生徒「沖縄の歴史、国頭村とか与論とかの歴史を勉強しながら、行進したいと思います」

青山さん「行進も一緒に参加します。あの子たちとまた話しながら歩いてみようかなと思ってます」

復帰から40年。当時を知る世代と知らない世代。共に、あすの海上集会で、分断の時代に思いを馳せ、復帰を見つめ直します。

43年ぶりの海上集会は、明朝、国頭と与論からそれぞれ船が出港し、北緯27度線を目指します。

青山さんは、かつて参加した集会で十数年ぶりに与論の伯父と再会したそうなんですが、あすの海上集会には、この伯父さんの息子さんが与論側から参加する予定だということです。

当日のもようは、週明け5月1日の特集でお伝えします。