この春、うるま市で大規模な学校の統廃合がありました。伊計島、宮城島など4つの島の7つの小中学校が閉校となります。宮城島の宮城小学校では日曜日、地域の人々が集まって閉校式が行われました。
沢山の自然に囲まれた宮城小学校。教室から見えるいつもと変わらぬ風景。地域とともに歩んできた宮城小学校最後の日が訪れました。県内各地から次々と懐かしい顔が宮城小に帰ってきました。
閉校式には歴代の校長や教職員、大勢の卒業生も参列。体育館は久しぶりの超満員です。
みんなで歌う最後の校歌です。
宮城小学校は明治23年から117年という長い歴史を築いた学校です。かつては健児八百と校歌で歌われていた学校も、今年度の全校児童の数はわずか10人に。
吉中ありささん「私たち10人には目標があります。宮城島の伝統と誇りのいっぱい詰まった宮城小で培った力や想い出を彩橋小中でも活かして活躍することです」
宮城小学校最後の児童となる10人の子どもたち。島の豊かな自然を心に刻みたいと、昨年6月、おじいちゃんやおばあちゃんたちが育ったころの昔の田んぼを学校内に再現することにしました。
桃原広隆先生「昔あった宮城島を子ども達に少しでも体験させてあげたいという願いで」
土づくりから収穫までの4ヶ月余りの間に、田んぼではいろいろな変化がありました。5,6年生を中心に卵から育ててきたメダカも放流。
そして10月小さな田んぼから生まれたお米はわずかな量ですが、10人の心に実った宮城島への思いはさらに大きく育っていました。
桃原先生「お米を作るのが目的だった?(いいえ)ご飯食べるのが目的だった?(いいえ)」
子どもたちの目的はお米作りだけではありません。昔、宮城島の水田や川にたくさんいたメダカを昔の環境に近い手作りの田んぼで育て、川に放流するということです。
閉校までの間、川の調査をしたり、メダカの生態を学びながら、ともに成長してきました。そして宮城小学校最後の授業―。
桃原先生「ここが宮城島の集落の一番生活の支えの中心地。そういう場所にお世話になったメダカを放せたらと思って」
吉中ありささん(6年)「宮城小学校はなくなるけど、宮城島のリーダーとしてメダカを増やしつづけて下さい」
伊礼門龍馬くん(2年)「この一年間ありがとう。ハルガーでもいっぱい生きていってね。
ひとりひとり想いをこめて放流します
北野あつしくん(3年)「僕みたいに大きくなーれって言いました」
北野愛弓さん(5年)「もっと増え続けて、私たちが大人になる頃まで、メダカがいっぱいいたらなと思う」
高齢化が進む小さな島にとって、学校は1つのともし火。そこにはいつも笑顔の子どもたちがいました。
たくさんの思い出と未来の豊かな自然への願いを込め、宮城小は117年の長い歴史に幕を下ろします。