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沖縄戦当時、親を亡くした子どもたちを収容したコザ孤児院で26日戦後2回目の慰霊祭が行なわれ関係者やその家族が参列しました。

コザ孤児院には1945年からおよそ4年間、沖縄戦で親を亡くしたり兄弟と生き別れた多くの子どもたちが収容されていました。

収容人数は分かっている限りで400人余りとみられています。しかし、けがや栄養失調で命を落とす子どもも多く今も収容された子どもの正確な人数は明らかになっていません。

2回目となる26日の慰霊祭には当時、孤児院で過ごした人たちやその家族ら22人が参列しました。

慰霊祭を主催した沖縄市役所総務課の恩河尚さんは「慰霊祭を毎年行なうことでコザ孤児院のことをまだ知らない家族や仲間につなぐことができたら」と話しました。

参列した人たちは当時を思い出しながら思い思いに花を手向けたり手を合わせていました。

名幸芳生さんは「両親家族11人戦死です」「あの当時を思い出して幼い子たちがひもじい思いで亡くなっていったさ。せめて1本くらい線香をあげたいなといつも思っていた」と話しました。

慰霊祭のあと参列者は市内の戦後文化資料展示室で開かれている当時のコザ孤児院の写真展会場に移動。

当時9歳だった名幸さんは当時の記憶が鮮明に思い出されると「戦場から毎日のように運ばれてくるけど栄養失調とけがで亡くなる子が多かった」と話しました。

写真展は4月1日まで開かれています。