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Qリポートです。去年10月オーストラリアで開催されたワールドソーラーチャレンジに唯一の高校生チームとして参戦した南部工業高校の生徒たちが卒業を迎えました。この3年間の彼らの成長を振り返ります。

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3月1日。校長「あなたは、工業技術の学習にあたりよく努力し優れた実績を挙げられました。よって表彰します。」今月1日南部工業高校の卒業式で表彰されのは、金城孝作くんと、宮里宗一郎くん。全国の工業高校の学校長で組織する協会で地道に取り組んだ3年間の活動が評価されたのです。二人が歩んできた3年間は、ソーラーカーの設計から製作にいたるまで一つ一つ力を合わせ作ってきました。

共に励ましあい、涙あり 時には、口論も!?「分ってるならとってこいよー」そして、進路への大きな悩みを抱え泣いた日もありました。

宗一郎君(家で泣いているシーン)「決められなかったのがちょっと、いやっ、つうか、悔しいつうか、何も見えてないのにそんな自分の気持ちだけで行動しているので」

宗一郎君の父親「オーストラリアの大地を見て考え方が変わるかもしれないし・・ 朝日を見て感動することがあるかもしれないし、そういうのもまずは、見てきたほうが良いんじゃないって」

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そんな困難を乗り越え、夢の大地オーストラリアの舞台にたどり着いたのです。疾走するレキオン。大会は、オーストラリアの北から南の3000キロの道のりを太陽のエネルギーだけを頼りに走る過酷なレース。唯一の高校生チームとして注目が集まり話題にもなりました。彼らが製作したソーラーカーは、山火事や大雨、竜巻など荒れる天候に悩まされました。

「だめだよお前たちがそんな顔しちゃ。会場のフィニッシュラインありますから そこまで行ってちゃんと車を、そこ切りましょうよ。 順位ちゃんとでるんだから、そんな終わったような顔するな」7日間のレースは、13位という成績で終えました。

2月20日 帰国後、彼らは自分たちを応援してくれた企業へお礼を兼ねて報告会に出向いていました。

宗一郎君「出来ると思っていなかった舞台に挑戦できて、非常にうれしくもあり悔しい部分も残して帰ってきたんですけど、又4月からは金城と同じく本土の大学に進学して、自動車工学を勉強します。」

この3年間で彼らが手にしたもの、それはあきらめない心と夢を実現する力でした。

3月4日 「スーツが決まっていますね。」(笑い)孝作君「ありがとうございます。卒業しちゃったんで、制服じゃなくてスーツで」

今月4日には、あのトヨタのモーターショーにオーストラリアを走ったソーラーカーと共に招待されていました。ここでは、2年の二人が説明を・・・・

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3月4日トヨタモーターショー 「お客に説明すごいね」「これ全部アルゴン溶接なんかも自分たちで?」「先輩がやりました。」「これ時速どれくらい出るんですか?」「大会中はバッテリーの減りを抑えるために、だいたい70キロから80キロ」「えっ? そんなにでるんですか?」会場は、車に興味のある人が集まっているとあって、彼らが製作したソーラーカーにも性能などについて踏み込んだ質問も飛び出していました。

飯塚先生「一番最初の頃は、こういう展示をしても背中を叩かないとひっこんでいる」「今ほっとかないで、自ら進んで挨拶してから説明して乗ってみる?って声かけて、こんなこと全然出来なかったの見ててホントにほっとします。 うれしいです。」

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そして、いよいよ本当の別れの日。メンバーや保護者などが集まった慰労会を開いてくれました。そこで、先生から重大な発表が!今回、先生の転勤によって南部工業高校の技術部というのは事実上、職員会議でもたたむことが決定していて、なんと廃部になるというのです。でも先生は、こう続けます。

飯塚先生「ソーラーカーっていうのは、たくさんある人生の中のドアにすぎなくて、他のドアもたくさん開けなくてはいけなくて、その向こう側に行っていろんな世界を見ないといけない」

ソーラーカー作りを続けながら、進学という孝作君と宗一郎君は、次のステージへ、飯塚先生は他の学校へ、そして残った2年生は次の挑戦を目指し、新たな目標に向かって歩みだしていました。

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『これからも世界へ挑戦してイクゾー!からこれからも世界に挑戦してイクゾー!』これからもそれぞれが新たな目標に向かってあゆみだしていました。