今年1年をふりかえる「2011ここから」。「震災」を振り返る2回目はプロゴルファーを目指しゴルフの強豪校・福島県立富岡高校に進学した那覇出身の高校生についてです。
名門ゴルフ部のともし火は消さない。震災後福島に戻った彼女の思いを聞きました。
こちらの写真は福島県富岡町の様子。一時帰宅の際、避難した娘に代わって学校の寮から荷物を運びだした母親が撮影したものです。
娘が一番取ってきてほしかったのは富岡高校ゴルフ部のユニフォーム。
比嘉怜羅さん「(練習への気持ちが)違います。雰囲気とか。1年間使ってきたものなので」
比嘉怜羅さん、現在も福島で練習を続ける彼女の夢はプロゴルファーになることです。
今週、怜羅さんは富岡高校の一員として修学旅行で久しぶりに沖縄に戻ってきました。実は彼女たちにとって、同じ高校の仲間と会うのも久しぶりのことなんです。
富岡高校と福島第一原発との距離はおよそ10キロ。警戒区域に指定されている富岡高校は、現在5つの学校に生徒を分けて授業を再開しています。
怜羅さん「あんまり久しぶりって感じしないよね」
離れ離れになった生徒たちが元のように触れ合うのに、それほど時間はかかりませんでした。
震災後、比嘉さんは一時沖縄に避難していました。でも福島の友人とは毎日連絡を取っていました。
怜羅さん「福島は少しずつだけど復興していて、私たちもそれに負けないくらい、ゴルフ部も復興に向けてがんばろうと」
怜羅さんは福島へ戻る決意をします。
母・裕子さん「何度もこの話はするんですけど、お母さんが死んだと思うんだったら行きなさいと。それくらい心配して祈っていたあの苦しみがわからないのって」
反対する母の言葉も思いを変えることはできませんでした。
10月、福島北高校の校舎で富岡生としての再出発をきった怜羅さん。ゴルフ部には毎日連絡を取っていた大和田沙羅さんの姿も…。
大和田沙羅さん「怜羅にも会いたかったし、いま、修学旅行に来られたことは奇跡」
怜羅さん「(福島は)初めて仲間ができたところ。成長させてくれたところなのかなって思います」
名門ゴルフの灯は消さない。震災後、たった1人となっていた富岡ゴルフ部は、10月に怜羅さんや大和田さんらが戻り4人に。団体戦に出場できる人数がそろいました。
怜羅さん「私たちが頑張って有名になれば少しは(生徒が)入ってくれると思うので、今の2年生と(1年生の)茉莉枝とでがんばっていきたいです」
怜羅さん「今までは戦争の話を聞いてかわいそうだなって気持ちはあったんですけど、この震災で命の大切さというか重みがわかった」「1日1日を大切に生きないといけないと思いました」
「命」について、より深く考えたこの1年。最後まで福島行きに反対していた母・裕子さんも娘の成長を実感しました。
母・裕子さん「本人が頑張るって意志が強い。行かせてよかったかは半信半疑ではある。人間的に大きくなって帰ってきてほしいです」
最終学年を迎える来年。比嘉さんの目標は全国大会に出場することです。
怜羅さん「勝負の年というか。福島県内でも富岡高校が大会に出ることは大きいことだと思うし、応援してくれる人もたくさんいるので、それを励みに頑張ります」