ハンセン病回復者として、40年余りにわたって差別の撤廃などを訴え続けてきた伊波敏男さん。番組でも何度かご紹介していますが、伊波さんは国から支払われた賠償金を元手に8年前、フィリピンで医学を志す学生に奨学金を支給するための基金を設立しました。
その伊波さんが先月、初めてフィリピンを訪れました。大きな思いを胸に海を渡った伊波さんに密着しました。
マニラから飛行機で1時間。伊波さんが向かっているのは、「クリオン」という小さな島です。
伊波敏男さん「これから本当に思いを同じくする人たちを訪ねていくんだと、やっぱり気持ちが高ぶってきます」
空港から、車と船を乗り継いでさらに2時間。ようやくクリオン島が見えてきました。
クリオン島は、かつて、島全体がハンセン病患者の隔離先とされ、全国から患者が集められていました。他の島と間違って上陸しないよう、島には目印が付けられています。多いときには7,000人近く、延べ5万人の患者がこの島に隔離されました。
演奏しているのは、島に住むハンセン病回復者たち。他にも多くの島民が伊波さんの到着を待ちわびていました。
その中に、恥ずかしそうに佇む一人の青年がいました。オーディン・ダイアージさん、23歳。伊波さんの基金で看護師となった青年です。
伊波さん「今日はあなたに会いたくて来た。あなたを励ましたいということで」
ダイアージさん「看護師コースでは、伊波さんの奨学金を頂いて卒業することができました。そしてこのメダルをもらいました」
ダイアージさんが取り出したのは、学年トップの優秀な学生に贈られるメダルです。
伊波さん「彼を見たら顔輝いてるんだもん、目も輝いてる。そういう輝いた青年に私ができることで未来を援助できたら、これ以上嬉しいことはない」
ダイアージさんは、まもなく医師コースに進むことが決まっていますが、今はクリオン島の小さな診療所で、医師の手伝いをしています。これも授業の一環です。
この診療所では内科、小児科、婦人科など、住民の様々な治療の相談に応じています。
伊波さん「医者が病人を見るという診療風景の原点を見た気がします。ぎこちないけど一生懸命子どもの足のけがを治療してる。見たら器具類は少し粗末だけど、一生懸命消毒をして傷の手当てをしている。彼があと数年すると、自信をもっていろんな病人たちの診療にあたるんだろうなと非常に頼もしく思いました」
草柳記者「今では自由に歩くことのできるクリオンの街並みですが、実はこのゲートがかつて街を二分していました。今私が立っている方は非感染者のエリア、奥側は患者さんたちのいたエリアです」
かつての療養施設の一部は資料館になっていて、当時の治療の様子を垣間見ることができます。そこには、かつての日本の療養所と同じ光景が広がっていました。
その日の夜、伊波さんは島に住む回復者と食卓を囲みました。
伊波さん「病気というのはお互いにつらい体験をするわけです。つらい体験というのは国境も言葉も一瞬に消し去ってしまうというのを一番感じた」
伊波さんの次の目的地はレイテ島。伊波基金を受給する学生たちに会いに行きます。