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夏休みが近づいてきました。自由研究に何をやるか迷う子どもたちも多いと思いますが、沖縄の歴史というのも面白いテーマですよね。この夏、琉球王府時代のある通信手段の再現に大学生たちが挑みました。

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かつて交易大国だった琉球。中国船などを迎えるのは、国をあげた一大事。かちゃーしーの定番「唐船(とうしん)どーい」にもにぎわう港の様子が伺えます。

しかし、携帯もインターネットもない時代、近づいてくる船を首里城までどのようにして知らせたのでしょうか。 

那覇市の郵政資料センター。通信に関する歴史資料が展示されています。18世紀頃の那覇から慶良間方面の眺めを再現したジオラマを覗き込むと・・・。水平線の向こうに何かが見えてきました。のろしです。

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中国船のルートだった慶良間諸島では、船を見つけると、のろしを上げて島から島へ伝え、最後に本島の見張り番が早馬で首里城まで走ったのです。王府は、船の種類や数によってのろしの数を区別し、情報の精度を高めたといいます。

のろし制度は1644年に確立され、先島諸島に残るのろし台跡は国の史跡に指定されています。

那覇からおよそ30キロ離れた渡嘉敷島。ここはかつてのろし台があった赤間山です。今月、沖縄大学の学生たちがのろしの再現実験に挑みました。

学生たちの挑戦はこれで2回目。去年12月の実験では、強風で煙がうまく上がりませんでした。

学生「今回は天候も良く、風もそんなに強くないので、絶対上げたい」

引率の下地さん。今の世の中は情報が氾濫し、そのありがたみが忘れられていると話します。

下地克人さん「本当に必要な情報は何かというのをちゃんと伝えるためにも、こんな大変な思いしてたんだよ、自分たちはどんなに恵まれているのか、感じ取ってもらえれば」

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学生たちは合宿生活をしながら、前回以上に入念な準備をしてきました。

薪の組み方、煙を出すには松やソテツの葉が適していることは、青少年の家のスタッフをはじめ、地元の人に教わりました。

学生「地元の方にも協力していただいて。やり方教えてもらいながら、習いながら。でも、自分たちで任してもらえて、自分たちで考えながら上げていきました」

リベンジの時が近づきます。

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同じ頃、首里城では、慶良間方面を見渡す高台にのろしを観測するチームがスタンバイ。天気は晴れですが、もやがかかるあいにくの視界。

噂を聞きつけて、観光客や地元の小学生も集まってきました。祈るような気持ちで見つめる学生たち。しかし、またも風に見舞われます。

目をこらす首里城チーム。見えるのはまだ島影だけ。

下地さん「風が一瞬でも止めば、もっと上に上がると思うんですけど。なかなか自然相手だと」

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子どもたちにも手伝ってもらい、ラストスパート。

学生「もう全部。思い切って。がんばれがんばれ」「上がった上がった。おー。上がったんじゃん」

まっすぐ天にのびる煙。期待がよぎります。

学生「どうですか?煙はけっこう上がってるんですよ。あー、難しいですか。全く。」

1週間かけて準備したやぐらは、わずか30分で燃え尽きてしまいました。

学生「今日は残念です。見えなくて」

学生「悔しい。去年もだめだったので。とにかく悔しいですね。昔の人の、琉球の人の大変さを身をもって実感できました」

300年以上前、のろしにかけた人々に改めて思いを巡らせる学生たち。失敗の中に収穫もあったようです。

学生「頑張ったって気はします。めっちゃ」「将来この経験がどんなことに生かされるのかわからないんけど、今回参加できてよかったと思います」「できるならやりたいですね、再チャレンジ。またみんなと一緒に」

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首里城への土産話はたくさんあります。いつの日か、彼らの唐船どーいも見られることでしょう。

残念でしたけど、この夏の良い思い出ですね。のろしを再現することで、小国ながらも中国や日本と渡り合った当時の琉球の様子やのろしにかける当時の人々の生活や思いなど見えてくることがたくさんあります。

のろし台跡は、制度が廃れたあとも、拝所として民間信仰の対象になったり、船の安全祈願をする場になったりしたということですが、今ではそのほとんどがわずかな痕跡を残すのみだということです。