普天間基地の代わりの施設を誘致する計画が持ち上がっている国頭村安波区。計画の是非を問う区民投票では、賛成と反対の割合が6対4と微妙な情勢になっています。
こうした中、計画に反対する住民たちが声をあげ始めました。ふるさとが味わった苦い経験、そして彼らの切実な思いを聞きました。
安波区・当山光健さん「40パーセントの人は現実に反対しているんです。ですから我々の声も聞いてほしい。必ずしも、全てが賛成したんじゃないということを訴えたい」
今月15日、県庁で急きょ記者会見を開いたのは、国頭村安波区の元区長で、現在、区の評議委員をしている当山光健さんです。先月、区民の一部が政府に対し振興策と引き換えに、普天間基地の代替施設受け入れを表明した安波区。当山さんは最初、仲間に進められるまま、要請書にサインしましたが、後になってそれが普天間基地の代替施設誘致の計画だと気付き、反対に転じました。
当山光健さん「前村長に『これは普天間の代替地だよね』と確認したら『そうだよ』と。それじゃあもうできないということで。 議論もないんです。総会が2回、評議員会が3回、これで大事なことを決めて、村や県を飛び越えて政府に要請と、あまりにも度が過ぎる」
滑走路建設の予定地になっているのは、集落から1キロほど離れた農業振興地域。当山さんもそこでキク農家を営んでいます。若いころは町に出て働いていましたが、ふるさとに帰りたいと考えるようになり、安波区に農地を買い、Uターンしました。
当山光健さん「私も30年近く農業を続けています。苦しいこともありますが、土地があれば、農業する人にとっては働けば生活していける。静かなところでやっていけるんだと、皆さんが同じ気持ちで共有してもらえればありがたいと思っています」
しかし当山さんたちが今回の計画に否定的なのは土地の問題だけではありません。かつて安波区、そして国頭村が味わった苦い経験があるからです。
『建設反対、やんばるを守るぞ!!』
1987年に始まったハリアー基地建設阻止運動。アメリカ軍が安波ダムの入口付近に、当時最新鋭の攻撃機ハリア―IIの基地建設を計画したのを受け、住民たちが体を張って阻止したのです。40歳だった当山さんも運動に加わりました。
今回、当山さんとともに、計画反対を表明している平良さんと玉城さんは、アメリカ軍と衝突したときのことを鮮明に覚えています。
玉城清さん「相手は憲兵隊。こっちはゲートがあって、入れなかった。反対側の山から部落の人は突入してきた。揉み合いですよね。おばあちゃんたちも全部、米軍と憲兵隊と揉み合いです」
平良信二さん「戦争につながることでしょ。万が一事故が起こったら、墜落でもしたら、(ダムの)水が飲めなくなる」
一方、当時は阻止行動の先頭に立ち、今回は代替施設の誘致を主導する前の村長の上原康作さんは区民にこう説明していました。
上原康作前村長「村全体を見て、建設業も公共工事が激減して倒産が相次いでいます。若者たちは失業しています。将来に向かってこの地域が自立繁栄できるような産業を持ってきたい」
24年ぶりに持ち上がったアメリカ軍基地の建設計画とその背景にある過疎と高齢化。誘致を進める人たちは、1世帯あたり1000万円の生活支援金を給付すること、地元住民を優先的に雇用することなどを条件に国と交渉することを打ち出し、区民は賛成派と反対派で6対4にわかれました。
当山光健さん「一番懸念されるのは区民間の争い。非常に感情的になっていてます。なぜ金をくれるのに反対するんだと」
平良信二さん「非常に悲しい。静かな村がお互い助け合って、戦前から戦後までやったものが、こういうもので2つに割れていくかと思うと、もう悲しいです」
普天間基地の移設問題が迷走する中で生じた安波区の混乱。結局、日米両政府は今月21日、名護市辺野古にV字形の滑走路を造ることで合意しましたが、安波区の住民たちがアメリカ軍基地の誘致を巡り、対立したことは、この先も住民の間にしこりを残すのではと心配されています。