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未曾有の大被害をもたらした3月11日の東日本大震災。特に大津波の被害は広範囲にのぼりました。地震大国の日本、もしここ沖縄で、大地震や大津波が起きたら基地で妨げられてしまう避難経路についてのリポートです。

琉球大学理学部・中村衛准教授「これまでは沖縄では巨大地震は起こらないと言われていたんですが、最近の研究で、沖縄県でもひずみが溜まっているのが分かってきたんで、将来的には巨大地震があるという風に思っています。」

地震学を専門に研究している琉球大学理学部の中村准教授は、沖縄でも1000年に一度の割合でマグニチュード8.5以上の大地震が起きる可能性があると話します。

予測されるのは、琉球列島側のユーラシアプレートに東の方から毎年8センチずつ入り込んでいるフィリピンプレートのひずみが生み出す地震です。

中村准教授「可能性として例えば普通の地震が起こったとすると本島でも、震度6弱か6強になります。そのあと津波が発生しますから津波が10分後位には東海岸を襲います。で20分後に反対側の那覇とか、西海岸を襲います。東海岸では14メートル以上の波が襲いますし、那覇でも反対側ですけど10メートルの津波が来ます。」

赤く染まった地域は5mから10m。オレンジ色でも0から5mの浸水が予想されます。この場合、津波は海岸から、3キロ付近まで到達されると考えられます。

津波からの避難経路の確保が重要となる中、宜野湾市と北谷町では経路の途中に、アメリカ軍基地があります。

宜野湾市では災害緊急時に、基地に避難を阻まれることがないよう普天間基地の大山から佐真下までのゲート、キャンプ瑞慶覧の北前から新城までのゲートを身分証なしで開放するよう外務省沖縄事務所に申請しました。

宜野湾市・安里猛市長「震災の対策という意味ではやはり宜野湾市は普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧が大きな障害になっているんです。基地を開放して頂いて避難がスムーズにいけるようにしてもらおうということが一つありました。」

この伊佐地域の市民にとっては、ゲートが開放されることで、避難経路が確保されます。実際、宜野湾市では3月11日の震災の日。津波警報が出たとき、伊佐の交差点から高台に上っていく県道は避難する人たちの車で渋滞となりました。

安里市長「災害時における市民の皆さんの安全を確保するという意味ではやはり軍事施設であろうがですね、どんなことがあっても市民の皆様に開放していくというのが大事。」

同じようにアメリカ軍基地があり、国道58号あたりまで水が押し寄せるというシミュレーション結果が出た北谷町はどうでしょうか?

北谷町役場総務部・佐久本盛正課長「方針的には(基地ゲート開放要請を)やろうということで考えてはいるんですが、キャンプ瑞慶覧については、シミュレーションでこの辺まで被害が来るので、ゲートに入ってから1キロ10分以上かかるんですよ。ゲートが一箇所しかない中に住民が殺到する、普通に走れない歩けないってなったときにもっと時間がかかる。それよりは高い建物。近くの高い建物。」

海に面した砂辺区、宮城区、美浜区、北前区の災害時の避難場所の想定は2メートルの津波です。もしそれ以上の規模の津波だと、標高10メートルの北谷町役場までは、遠いところで3キロの距離があります。想定では大津波が来るまで20分ほど。道路は大渋滞になる可能性も考えられます。

佐久本課長「すぐ自分のところの地域でですね、そういう建物があるかということを確認していただいて、自分でとにかく避難すると。」

近くに高い建物が少ない地域ではどうすればいいのでしょうか?

佐久本課長「周辺の方々のアパートとか3階以上があればどうにか逃げるような日頃からのお付き合いの中で、やっていくとかもしくは町が介入していって、協定書を結ぶとかですね。」

自治体や学校などが、津波を想定した避難マニュアルを作ることのほかに、自分自身も日頃からどこに逃げたらよいかを確認しておくこと。そして、地域住民との助け合いが必要になってきます。

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基地の開放も有効ではありますが、近くのビルに逃げたほうが早い場合もありますからその時、自分がどういった状況に置かれているかを確認し、災害時にはパニックにならないように避難したいですね。