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この手紙は、飲酒運転で死亡事故を起こした女性が心理療法士にあてた手紙です。加害者の女性の獄中からの手紙を通して、人生を一変させる飲酒運転事故の恐ろしさを考えます。

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手紙より「私が命を奪い、そしてこれからの未来も奪った。そんな私が笑ったり、幸せになったり、幸せな未来を夢見てもいいのだろうか。この事は謝り償い続けたとして、許してもらえるのでしょうか」

手紙の差出人は山口県の刑務所に服役中の25歳の女性です。おととし、6月、那覇市の国道で、酒を飲んで車を運転し道路を渡っていた42歳の男性をはね死亡させました。女性は現行犯逮捕され、1年6カ月の判決を受けました。

手紙より「作業では、アイマスクやポーチなどをミシンで縫い、職業訓練ではパソコンと手話を学んでいます。様々な分野の本を読むようにし、いろいろな考え方ものの見方が出来るように心がけています。」

真栄田さん「助けてください、助けてください」、電話口で号泣しながらもう言葉にならない程、「助けてください。死にたくても死ねないんです。」って言うんです。あんた何なの?って言ったら「自分は加害者です」ってえっ!?って」

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女性と手紙のやりとりを続けているのは、真栄田絵麻さん、59歳。心理療法士です。真栄田さんは、「飲酒運転撲滅の会」のメンバーです。飲酒運転事故で家族を失った経験を持っています。

真栄田さん「トラウマだからこのトラウマとずーっと戦ってきたんです。だからなぜ、私が心理療法士になったのかって意味があったんでしょうねぇ。」

真栄田さんを悲劇が襲ったのは46年前。家族の披露宴のため、数台の車で宜野座村に向かっていた時、当時31歳の男性会社員が運転する軽トラックが猛スピードで真栄田さん家族が乗った1台に衝突、母親ら3人が死亡、一人は半身不随となりました。

男性は飲酒運転。真栄田さんは、当時12歳でした。

真栄田さん「私は31歳の(加害者の)男性を知りませんでした,声も聞いたことないし全く。「申し訳ございませんでした」のこれもない。だから私はずっと恨み続けて殺したいくらい。だから捜しまわっていたんです私。加害者として世の中に出て、そして社会に対しての償いでもやるべきじゃないですか!」

月日がたっても事故のことを忘れることなど出来ません。バスガイドの仕事を経て、心理療法士になったのが、9年前。冒頭の手紙の女性との出会いは、飲酒運転根絶の活動を始めてからでした。真栄田さんは、自分の活動を報告し、女性を励まし続けました。

手紙より「以前よりは心から笑えていると思います。しかしそんな時、ふと申し訳ない気持ちに陥ります。楽しければ楽しい程、幸せと感じれば感じる程、笑えば笑う程、これでいいのだろうかと疑問は強くなります。(略)真栄田さんは以前私に「笑ってもいいのよ、幸せになってもいい。」とおっしゃってくださいました。(略)私が犯した事は決して許してもらう事はできませんが、しっかり償いをし、自立し生きていこうという思いが強くなってきました」

真栄田さん「彼女に出会う事によって私のトラウマが取れるんじゃないかと、彼女を知ることによって(母親を犠牲にした)彼がどんな暮らしをしてきたかわかるんじゃないかと思ったわけ」

女性との1年に渡るやりとりで、真栄田さんは、自分の命が続く限り、飲酒運転撲滅の活動を続けていこうと決心しました。そして彼女の社会復帰も支えていくつもりです。

私と一緒にあなたは加害者の立場で堂々と顔を出して自分の言葉で伝えて欲しい。

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手紙より「私は本当に多くのものを真栄田さんからいただいています。加害者である私が被害者の立場である真栄田さんにこんなにも頼り、よくしていただいていいものなのか。次は私が真栄田さんにお見せする番ですね」

願いは唯一つ、二度と被害者・加害者を作らないこと。飲酒運転の根絶です。こちらの冊子、以前紹介しました「一杯の代償」には、飲酒運転で死亡事故を起こした加害者の苦しい体験がつづられています。飲酒運転は被害者のそして加害者の人生を変えてしまいます。

真栄田さんと手紙をやりとりしている女性の手記も寄せられています。女性は出所後は、真栄田さんと同じ「飲酒運転撲滅の会」の活動に参加したいと話しているということです。